北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1水タンク曾|ミジタンク|共同の水タンク。2か所あるうちのlつ。屋号ナーザトゥグヮー(宮里小): 32にあった。昭和13 ~ 1 5 (1938 ~ 40)年頃に作られた水タンク。6畳ぐらいの大きさで、タンクの形は四角だった。てっきんセメント造りで、鉄筋の代わりにヤンパルダキ(リュウキュウチク)を使っていた。雨水を溜めていた。ふきゅう戦後も残っていたが、水道が普及してからはあまり使われず、昭こわ和54 ~ 5 5 (1979 ~ 80)年頃に取り壊された。|ミジタンク|共同の水タンク。2か所あるうちのlつ。屋号メーヌミドウルマ(前ヌ目取真): 28にあった。昭和13 ~ 1 5 (1938 ~ 40)年頃に作られた水タンク。6畳ぐらいの大きさで、タンクの形は四角だってっきんた。セメント造りで、鉄筋の代わりにヤンパルダキ(リュウキュウチク)を使っていた。雨水を溜めていた。ふきゅう戦後も残っていたが、水道が普及してからはあまり使われず、昭和54 ~ 5 5 (1979 ~ 80)年頃に取り壊された。作自|ローラーバシ|ジャーガルミチを直すために来ていたローラーが、チャタン(北とおζわ谷)にあった橋の上を通ったときに、壊れてしまった。2~3名の子どもたちが巻き込まれて亡くなった。それ以後、ローラーバシと言うようになった。平たい石の橋だった。→北谷のローラーバシを見よ。1製糖小屋⑫ |サーターヤー|共同製糖小屋。2か所あるうちのlつ。屋号サーターニーナカムラグワー(サーターニー中村小): 16の東側にあった。アガリグミの人たちで共同利用していた。きたたま現在の町立北玉小学校の門のあたりである。|サーターヤー|共同製糖小屋。2か所あるうちの1つ。屋号マーチュートーヤマ(マーチュー当山): 26の南西側にあった。イリグミの人たちで共同利用していた。209 《間取り調査風景》《現地調査風景》

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