北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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i切り通しlワイトゥイ|けず集落の北側にあった。両方の山を削り取って作られた。話者によると、相当高くて10m以上あったのではないかと言う。昼でもこわ暗くて、怖いところだった。道幅は3mぐらいで、荷馬車がやっととおちが通れるぐらいで、すれ違いはできなかったと思われる。いつ頃できたかはわからないと言う。1丘⑧lアカムヤー|屋号ナコー(名幸): 8のところにあった山。赤土で山が赤くなっていた。大きな山みたいにとんがっており、子どもたちが遊んだりした場所だった。現在の幸地書庖の向かいあたりである。1;勇水井戸圃lホースガー|水が豊富だったが、あまり上等な造りの井戸ではなかった。戦後作り直して立派になった。ホースガーの名は、戦後ついたものである。ゴムホースを入れて水を引いていたので、ホースガーの名がっし、fこ。→伝道のウージガーを見よ。1掘井戸母|イーヌ力一|共同井戸。2か所あるうちの1つ。屋号カマーナカムラグヮー(カマー中村小): 34の東側にあった。個人井戸があるのは数軒だけだったので、集落のほとんどの人たちがイーヌカーを利用していた。一番上等な井戸だった。深さは1mぐらいで、釣瓶を使っていた。カーウガミをする。現在の水量は、戦前の半分ぐらいになっている。|卜ーヤマヌ力一|共同井戸。2か所あるうちのlつ。屋号アガリターパグヮー(東田場小): 25の南側にあった。チンガーで、相当深く、2~3m以上かんばっかあった。ワクではなく、早魁の場合には水が掴れた。現在のハッピー(北玉)児童館のところである。井戸は埋められひているが、碑が建てられている。208 《イーヌカー》-ヵーウガミ:井戸の神様を拝む。《トーヤマヌカー》-チンガー・つるべ井戸。・ワク:湧き水。

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