北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1丘魯|テンブスーヤマグヮ-1小さい山があり、そこに網を干したという言い伝えがあった。話者によると、現在のキャンプ桑江内は、戦時中に防空壕を掘ると砂が出てきたので、大昔はそこまで海であったと思われると言う。ちゃたんちょう現在の北谷町役場庁舎の東側あたりとなる。→桑江のアンプスーヤマグヮーを見よ。i池沼. トン卜ングムイ|ナルカーの上流にあるクムイ。上流はワクなので、常に水が流れだんさたきていた。1mぐらいの段差があり、滝のようになっていた。そこから落ちる水がトントンと音をたてるので、トン卜ングムイの名がついた。丸い形のクムイで、泳げるぐらいの広さと、1m~lm50cmぐらいの深さがあった。くわえすいげんち現在はキャンプ桑江の水源地として利用されている。今はクムイにはなっていない。クェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)のおが拝所があり、旧暦2月2日と9月9日に拝みに行く。|カヨーダヌクシヌクムイ|デンプンコージョーの北東側にあったクムイ。力ヨ一夕、ヌクシわんきょくヌカーの流れの中で、湾曲しているところに水が溜まっていた。クムイの形は四角形だった。長さが14~15mあったので、泳いで遊ぶのに良かった。畑仕事の帰りに、手足や農機具を洗ったりしていた。下流では家畜(馬・牛)に水浴びをさせていた。匡互司じ〈ぎつ製糖期が終わった後、サーターグルマの軸木などを漬けるクムイであった。軸木の材質であるリュウキュウマツは、水に漬けた方が強く、長持ちし、シロアリ(白蟻)よけにもなっていた。集落の西方向にあり、サーターヤーからは、ちょっと離れた場所にあった。礁池.ジャリグムイI[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していなし、]ケービンミチを造るときにできた海の中のクムイ。ケービンミチは土を盛り上げて造っており、表面にはコーラルを敷いた。そのコーラルを取ったために、クムイみたいなものができた。3~4個かんちょヲまんちょうあり、深さは干潮時に1mぐらい、満潮時には1m50cmを超えるぐらいあった。191 -キャンプ桑江(キャンプ・レスター):沖縄本島中部にある米海兵隊墓地。米海軍病院がある。-クムイ・池。沼。・ヮク:湧き水。-サーターグルマ:サトウキビを圧搾する装置。-コーラルサンコ守の死骸が小石や砂利になったもの。

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