北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|力ン力一ヌカミ|はいしょイチの隣にあった拝所。話者によるとちょっとした石があったぐらいだと言う。カンカーのときには、集落の入口や十字路になったところに、肉を吊り下げた。4か戸斤ぐらいあった。しかし、昭和15~ 1 6 (1940~ 41)年頃からは行なわなくなった。そぱ力ン力一ヌカミの側にはムイグワーがあった。|リューグーシン|龍宮神。最初は屋敷内のカーの側にあったが、昭和11 ~ 1 2 (1936 ~ 37)年頃に、ゴガンのすぐ側にあった広場に移した。戦後、ゴガンはなくなったが、リューグーシンは同じ場所に、新しく作り直した。ちゃたんちょう現在の北谷町公共駐車場の近くにある。→桑江ヌ中屋取のリューグーシンを見よ。|ビジュjレ|チャタントンネルとマヤーガマの中間にあった拝所。三方を石で囲み、屋根も石造りの洞があった。1m四方ぐらいだった。背後には松の木が生えていた。昭和13 ~ 1 4 (1937 ~ 38)年頃にコンクリート造りで瓦屋根の洞に改築した。ビジュルは埋まっており、地上に40~50cmほどしか出ていなかったが、改築するときに掘り起こしてみると、1m20~30cmぐらいの高さがあった。他にもビジュルが出てきて、計3個のビジュルが出てきた。3個並べて、桐の中に入れた。洞の前は広場で、さらにその前に7~8段ぐらいの階段がついていしづいた。簡単な石積みの階段だったが、桐の改築のときに石段もコンクリート造りにした。話者によると、改築の費用はクェー(桑江)ちやたんそんだけではなく、北谷村からも出たらしいと言う。Lゆっせいおが兵士が出征するときに拝んでいた。ンマヌファとも言っていた。話者によると、ニーヌファはイキガで、ンマヌファはイナグだと言われていたと言う。→桑江ヌ前屋取のビジュルを見よ。1馬場|クェーンマイー|桑江馬場。ンマイーとも言う。クェー(桑江)とクェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)との間にあった。昭和17 (1942)年頃まで、年に一度、朝10時ぐらいから昼を180 -カンカー集落に悪疫が入ってくるのを防ぐための行事。-ムイグヮー:Ji。築山。-カー:井戸。《龍宮神》-ピジュル:霊石として記られる石。-ィキガ:男。-ィナグ:女。

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