北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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東側にあった。ハージョークシの流れには、あと2か所橋が架かっていたが、それぞれ特に名称はなく、3っともハシグヮーと呼んでいた。昭和12~13(1937~38)年頃にコンクリート橋の工事をしていた。長さは5~6mぐらいで、水面までは2mぐらいだった。|エキヌメーヌハシグヮ-1ク工ーエキの近くにあった鉄橋。ウードゥダヮーヌメーヌ力一かラグヮーとテツドーが交差するところに架かっていた。橋をちょっと越えたところにポイントの切り替え機があった。|ハシグヮー|ウードゥグヮーヌメーヌ力一ラグヮーとミーミチが交差するところに架かっていたコンクリート造りの橋。|ローラーバシグヮ-1チャタン(北谷)の方にあった橋。ジャーガルミチの工事に使わとおこわれたローラーが通ったときに壊れた橋。そのとき、子どもたちが巻き込まれてしまい、数名の死傷者が出た。それ以降、この橋のことをローラーバシグヮーと言うようになった。→謝苅屋取のジャーガルミチ、北谷のローラーバシグヮーを見よ。1十字路|クヮーシヤー力ジマヤー|クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)の屋号クヮーシヤーヤマグスク(菓子屋山城)のところにあったカジマヤー。→桑江ヌ前屋取のクェーヌメーカジマヤーを見よ。1トンネル盆lチャタントンネル|クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)とチャタン(北谷)のやらとお間にあったトンネル。屋良飛行場を整備するためのトラックが通こわらなかったので、昭和18 (1943)年頃に日本軍によって壊された。てんじようあと壊す前から、すでにトンネル内の天井にはこすった跡がついていた。→桑江ヌ前屋取と北谷のチャタントンネルを見よ。ドー|クェーエキ|県営鉄道嘉手納線の桑江駅。クヱーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前177 《間取り調査風景》-カジマヤー:十字路。道が交差するところ。-屋良飛行場:昭和19 (1944) 年に日本陸軍が建設した飛行場。中飛行場。米軍に接収され、現在の嘉手納基地となった。-沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間-内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。

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