北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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11掘井戸⑨ |ンブガー|ウカーとも言う。集落の北東方向にあった。大昔に使っていたホヨカ立つLょう井戸として拝まれていた。クェ一(桑江)発祥の地と言われる。石あと垣の跡が残っていた。ドラム缶が入るぐらいの深さで、ニープで水を汲むことができかんばっヵた。皐魁でも掴れなかった。普段は遠いので井戸を使うことはないが、シーミーや墓掃除のときには、ンブガーの水を汲んでお茶をわ沸かし、墓に供えたり、墓掃除の水に使ったりしていた。話者によると、現在は整地されて埋まっているが、モクマオー(トキワギョリュウ)が3本生えているあたりであると言う。作自|イリーグヮーヌメーヌハシ|クェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)とイリー(伊礼)の境にあった橋。コンクリート造りで、ケンドーに架かっていた。幅もらんかん広く、40~50cmの欄干もあった。橋の下の浜で、モーアシビをしていた。→桑江ヌ後屋取のイリーグヮーメーヌハシを見よ。|ハシグヮー|ハージョークシに架かっていた橋の1つ。屋号ジャチン(座喜味): 45から20~30mぐらい離れていたところにあった。ハージョークシの流れには、あと2か所橋が架かっていたが、それぞれ特に名称はなく、3っともハシグヮーと呼んでいた。昭和12 ~ 1 3 (1937 ~ 38)年頃にコンクリート橋の工事をしていた。橋の長さは5~6mぐらいで、水面までは2mぐらいだった。|ハシグヮ-1ハージョークシに架かっていた橋の1つ。キジャマミチと交差するところに架かっていた。ハージョークシの流れには、あと2か所橋が架かっていたが、それぞれ特に名称はなく、3っともハシグヮーと呼んでいた。昭和12~13(1937~38)年頃にコンクリート橋の工事をしていた。他の2か所のハシグヮーに比べると、やや小さめだった。|ハシグヮ-1ハージョークシに架かっていた橋のlつ。クェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)の屋号カマーアワグヮー(カマ一安和小)の南176 -ニープ:ひしゃく。-シーミー:清明祭。旧暦3月に行なう祖先供養の行事。-モーアシビ:農村で夜、若い男女が野原に出て遊ぶこと。三味線・歌・踊りなどをして楽しむ。《現地調査風景》

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