北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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-ゥガンジュ:拝所。-カンカー:集落に悪疫が入ってくるのを防ぐための行事。そこでカ力ン力一ヌカミで、たつあ。がたユいジてンつガなウ行はをに事ば羽-丁てhMHνノJqEののチ一イカンウードゥグヮーヌメー|メンターグムイ|屋号ナーカンダースー:1の南側にあった。ヌ力一ラグヮーの一部で、流れの途中の幅が広くなってクムイに-クムイ:池。沼。-ヵチ:魚墳。魚を捕るために浅瀬に積んだ石垣。なっていた。1魚、垣@|イリーガチ|クェーヌナカヤードゥイ《カチの跡の石》のフェーヤチガマの下(桑江ヌ中屋取)の方にあった。ゴガンから20~30mぐらい離れたところにあった。話者によると、はっきりとはわからないが、古老からカチの話を聞いたことがあり、クェー(桑江)の屋号イリー(伊礼)所有ではなかったかと言う。かんかくいしづあとたてぽし石の間隔は開いていたが石積みの跡は残っており、建干をするときに、そこに網を仕掛けていた。魚の通り道になっていた。みはま現在の県営美浜高層住宅あたりとなる。の1岩瀬δ |ナーカヌシーダヮー|シルヒージャーの中にあった飛び石のlつ。1m四方ぐらいの飛び石がいくつかあり、その中でも大きいものをナーカヌシーグヮーと言った。その下の方にいくと、水が流れ11湧水井戸|畠||イーヒージャー|普段はイーヒージャーの水を利用することはなかったが、草刈りや薪取りのときなどに、水を飲んだり、手足を洗ったりするために利用していた。現在、湧き口は埋まっているが、ている。|ウミヌカーグヮーI[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]ウミヌカーとも言う。話者によると、海の井戸という意昧ではなリューグーシンの近くにあった。水が出て、海へと流のリューグーシンを見よ。175 いかと言う。れていた。うみはま現在は埋められ、美浜となっている。→クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)

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