北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1丘色lアンブスーヤマダヮー|アンプスーヤマグヮ一、アンプシモ一、エンブスーモ一、エンブスーモーグワ一、テンブスーヤマクワーとも言う。集落の北東方向にあった。周囲は畑で、畑より盛り上がったEであった。あまり高くなく、200坪ぐらいの広さがあった。現在のくわえキャンプ桑江あたりが海だった時代に、そこに網を干していたという伝説が残っている。この伝説はクヱーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)とクェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)でも聞くことができた。また、クェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)の話者によると、キャンプ桑江内は、戦時中に防空壕を掘ると砂が出てきていたので、大昔はそこまで海であったと思われると言う。クェー(桑江)の話者によると、アンプスーヤマグヮーは拝所のようで、Eの頂上には高さ2mぐらいの岩があったと言う。近くには松林や泉もあった。ちゃたんちょう現在の北谷町役場庁舎の東側あたりとなる。|サーターヤーモー|集落の西側にあった。ちょっとEになっていた。くわえ現在のキャンプ桑江内の軍病院裏側あたりとなる。1野原観|アンブシモー|漁師が網を干していた場所。ハーリーの後にアシビをする場所でもあった。→桑江ヌ中屋取のアンブシモーを見よ。i池沼. a力ヨーダヌクシヌクムイlクェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)のデンプンコージョーそばの側にあったクムイ。幅はあまりなかったが、長さがあるクムイだったので、泳いで遊ぶのに良かった。川とつながっており、下流かちくでは家畜(馬・牛)に水浴び、させていた。→桑江ヌ後屋取のカヨーダヌクシヌクムイ、デンプンコージョーを見よ。匠亘屋号ヤマヒジグヮー(山ヒジ小): 46の北側にあった池。話者によると、家を造るときの材木を漬けていたのを覚えていると言う。174 -キャンプ桑江(キャンプ・レスター):沖縄本島中部にある米海兵隊基地。米海軍病院がある。-ハーリー:旧暦5月4日に行なわれる船の競争行事。・アシビ:歌三味線・踊りなどを楽しむこと。また、村芝居・祭りなど、仕事を休んで行なう演芸・娯楽。-クムイ:池。沼。

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