北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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一ヨ一蹴九一洪一.一一公一セ一ちゃたんそん精米所。農業組合のもので、北谷村内で取れた米を精米していた。→桑江ヌ前屋取のセーマイジョを見よ。1灰焼窯臼EZヘーヤチガマ|テーブルサンゴを海から取ってきて焼いていた場所。炭焼き窯まんちょヲのような形をしており、ゴガンと一つになっていた。満潮時には、船をつけて、ゴガンの上に取ってきたサンゴを置くことができた。せっかい焼いたものはへ一、あるいはサーターベーと言い、石灰のことである。製糖のときに砂糖を固めるために入れたり、ムチに使ったりする。また、ヘーを水に溶かし、それを草にかけて、肥やしを作ったりもした。サパニの苔落としなどにも使っていた。へーヤチガマの持ち主は、クェ一(桑江)、クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)、クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)、クェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)の人ではなく、どこからか通ってきており、毎日焼いていたわけではなかった。話者によると、この人がどこに売っていたかはわからないと言う。昭和13~1 4 (1938 ~ 39)年頃までやっていた。1拝所禽|リューグーシン|そぱ龍宮神。最初は屋敷内の井戸の側にあったが、昭和11 ~ 1 2 (1936 ~ 37)年頃に、ゴガンのすぐ側にあった広場に移した。戦後、ゴガンはなくなったが、リューグーシンは同じ場所に新しく作り直した。旧暦5月4日のハーリーのときに拝む。ちゃたんちょう現在の北谷町公共駐車場の近くにある。|ビジュjレ|チャタントンネルとマヤ一方マの間にあった拝所。5~6段の階段があり、そこを上がると香炉が置いてあって、神様が杷られていた。昭和12 ~ 1 3 (1937 ~ 38)年頃に、石造りからセメント造りになった。三方を囲み、屋根もある造りだった。おが旧暦2月2日のニングヮチヤーのときに拝んでいた。クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)だけではなく、クェー(桑江)、クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)、クェーヌクシヤードゥイ161 -ムチ:しつくい。防風用として屋根瓦の接合に多く用いられる。-サパニ:松や椎の木で作った沖縄の伝統的な漁船。《龍宮神》-ハーリー:I日暦5月4日に行なわれる船の競争行事。-ニングヮチャー:旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を聞き、余興をして楽しむ。

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