北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
164/504

いかと言う。リューグーシンの近くにあった。水が出て、海へと流れていた。うみはま現在は埋め立てられ、美浜となってている。→クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)のリューグーシンを見よ。PE閃シラヒージャーに架かっていた橋。昭和20 (1945)年3月頃にわた米軍が渡れないようにするため、日本軍によって爆破された。→桑江ヌ前屋取のシラヒージャーを見よ。1トンネル⑥ チャタントンネル|クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)とチャタン(北谷)の間にあったトンネル。荷馬車が2台通れるぐらいの幅があった。高さは5mぐらいだった。昭和19 (1944)年末~2 0 (1945)頃ぱくはがれきに日本軍によってダイナマイトで爆破された。爆破で出た瓦礁はもっこやスコップなどで人力で片づけていた。→桑江ヌ前屋取のチャタントンネルを見よ。1駅|ク工ーヌエキ|かでクェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)にあった県営鉄道嘉手くわえなは納線の桑江駅。嘉手納から那覇まで15駅あった。す駅の側に、j留め池みたいなものがあり、そこから汽車の水を吸いじようききかんしゃ上げていた。蒸気機関車だった。ぐしかわごえく具志川や越来などからも砂糖樽を運んできていた。クェーヌエそうニキから、那覇へと運ばれた。砂糖樽を入れておく倉庫もあり、その管理は、クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)の屋号ヤラグワー(屋良小)がしていた。現在の町立桑江中学校のあたりである。→桑江ヌ前屋取のクェーエキを見よ。1鉄橋冒|テッキョー|まくらぎし両端はセメントで、そこに枕木を置き、レールを敷いたものだっはいすいろた。排水路の上を汽車が走れるようにしただけの小さい橋で、3mぐらいだった。160 《聞取り調査風景》-沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間・内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。

元のページ  ../index.html#164

このブックを見る