北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|ヒラ力一スージ|スージグヮーの1つ。屋号ヒラカー(平}11) : 9の前の道。道幅はちが5mあり、馬車がすれ違えるぐらいだった。ケンドーとクェーンマイーを結ぶ道である。ンナンミスージと合流するところから、ケンドーまでの範囲を言う。クヱーンマイーに向かう道は、テーラグヮースージと言う。1割れ目岨lマヤーガマ|トンネルヤマにあった割れ目。上の方は1m80cmぐらいの幅があった。→桑江ヌ前屋取のマヤーガマを見よ。1野原翻|アンブシモー|漁師が網を干す場所。2か所あったうちの1つ。リューグーシンの北側にあった。300坪ぐらいの広さがあり、3~4軒ぐらいで使用していた。芝生が生えていた。旧暦5月4日のハーリーの後には、このアンブシモーで沖縄相撲や芝居が行なわれていた。ちやたんちょう現在は道になっている。北谷町公共駐車場東側、北谷運動公園前バス停あたりである。|アンブシモー|漁師が網を干す場所。2か所あったうちのlつ。へーヤチガマの北側にあった。500~600坪ぐらいの広さがあった。屋号イチマンヤー(糸満屋)が主に使っていた。昭和17 (1942)年頃には畑になっていた。ちゃたんちょう現在の北谷町公共駐車場東側あたりである。1魚、垣@lイリーガチ|クェー(桑江)の間取り情報によると、へーヤチガマの下の方で、ゴガンから20~30mぐらい離れたところにあったと言う。→桑江のイリーガチを見よ。湧水井戸圃ウミヌ力一ク。ワーI[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]ウミヌカーとも言う。話者によると、海の井戸という意昧ではな159 -スージグヮー:路地。小道。《間取り調査風景》-ハーリー:旧暦5月4日に行なわれる船の競争行事。-ヵチ:魚垣。魚を捕るために浅瀬に積んだ石垣。

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