北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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チの北側が二シヌトーングヮーで、その反対側はフェーヌトーンかんちょうおおグヮーであると言う。3月の干潮のときは腰ぐらいの深さだが、大しお潮のときは2mぐらいの深さになる。ニシヌトーングヮーは、フ工ーヌトーングヮーに比べて少し浅かった。また、冬にはフェーヌトーングヮーより早く波が来ていた。二シヌトーングヮーは、天気の良いときに漁をしており、ハイユー(サユリ)、シージャ(ダツ)などの魚が捕れた。しかし、サンゴが多く、踏み潰してからでないと網を張ることができなかった。また、ブーナー(フグ)も多く、網をやぷ食い破られることもあった。ニシヌトーングヮーは、いい魚が捕れるが、これらの理由で、フヱーヌトーングヮーを利用することが多かった。|フェーヌトーングヮー|クヱー(桑江)での間取り情報によると、沖に向かつて、クヱーグチの南側がフェーヌトーングヮーで、その反対側は二シヌトーングヮーであると言う。ちょっとした入り江になっており、深いところは7尋(10.5 m)ぐらいだった。大きい船は入れないが、小舟しおはゆっくりとなら入ることができた。潮が出入りするため、魚の出入りも多く、追い込み漁のときにはクチを使った。建干絹によく利用していた。11ス二lムーズニ|[※編注:記載した地図の範囲外にあるため、地図上には記載していない]現在のハンビーの下のあたりで、イノーの外側。サザエ・ヒロセまんちょう貝・タカセ員などの貝が多く取れた。満潮時にlm50cm"'60cmぐらいの深さだった。普段は岩は見えないが、旧暦の3月3日には水面に出る。目地t或・その{也コfガ川ほうふうりん護岸。防風林としてアラン(アダン)が植えられていた。→桑江のゴガンを見よ。11県道|ケンド-1集落の中を南北に走っていた。現在の国道58号線である。→桑江のケンドーを見よ。157 《間取り調査風景》-ィノー:礁池。

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