北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)11行政字名|ショーワドーリ1昭和通り。クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)の別名。一部の有識者によってつけられた名称。昭和14 (1939)年頃から昭和18 (1943)年頃まで、一時的に使用されていた。クェーヌナ力ヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)は、クワナカ(桑中)、ナカヤードゥイ(中屋取)と呼ぶことが多く、現在でもナカヤードゥイと言うほうが一番わかりやすい。i河J11 '力一ラグヮー|クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)とクェーヌメ一ヤードゥきょうかいはいすいろイ(桑江ヌ前屋取)の境界を流れていた川。排水路であった。クェー(桑江)の間取り情報によると、川の北側にはクェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)の屋号ウードゥグワー(小渡小): 1 があったので、ウードゥグヮーヌメーヌ力一ラグヮーとも言い、ウナガヌクシヌカーとも言う。→桑江のウードゥグヮーヌメーヌ力一ラグヮ一、桑江ヌ前屋取の力一ラグワーを見よ。i丘陵トンネルヤマ|きゅうりょヲかいつうチャタントンネルが掘られた正陵。トンネル開通前は、イチグシクと言っていた。松林があり、30~40本ぐらいの松が生えていたが、昭和19 (1944)年に、特攻隊の船の枕木にするために日本軍に伐採された。チャタントンネル開通前は、ビジュルとマヤーガマの聞から、4尺(1.2 m)幅ぐらいの道があった。トンネルヤマを越えて、南側にあったクェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)の屋号トンネルヤーの前に出る道で、その近くに幅70cm、高さ1m50cmぐひぷんらいの碑文があった。話者によると、全部漢字で書かれており、縦書きだったと言う。→桑江ヌ前屋取のイチグシクを見よ。1ィノー|二シハラガ-1クェーグチから入って北側の一帯を言う。二シヌトーングヮーの155 《間取り調査風景》-日本陸軍の海上特攻隊(海上挺身隊):白比川沿いに特攻艇・マルレの秘匿壕があった。

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