北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)北谷町域西側、東シナ海に面する屋取集落。集落の東側はクェー(桑江)、南側はクェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)、北側はクェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)に隣接している。戸数87軒で、そのうち力一ラヤーが13軒あった。集落名はクエーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)だが、略称として、クェーヌナカ(桑江ヌ中)、クェーナカ(桑江中)、ナカヤードウイ(中屋取)、クワナカ(桑中)と言うこともある。昭和14 (1939)年からショーワドーリ(昭和通り)の名がつき、そう呼ばれることもあった。Lょうゆ主業は農業と漁業であった。その他に雑貨商、専売品の売庖、醤油の製造・販売盾、豆腐屋、旅館などがケンド-沿いに立ち並んでいた。漁業に携わる人が多く、網を干す場所であるアンプシモーが2か戸庁あった。リューグーシンのjヒ側にあったものは300土手ぐらいの広さで、3~4軒で使用していた。もう1か所は、へーヤチガマの北側にあり、500~600坪ぐらいの広さがあった。井戸は各家にあったが、鉄道から海側の井戸には潮が混ざるので、飲み水は他に汲みに行っていた。集落内にリューグーシンがあり、旧暦5月4日に拝んでいた。ガンヤーはクェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)の南端にあった。クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)、クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)、クェー(桑江)、クェーヌクシヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)の4集落合同でガンやガンヤーを使用していた。[集落で行なう主な年中行事].旧暦2月2~3日<ニングヮチャー(クシユクワーシ一)>:親おが睦会。ビジュルとリューグーシンを拝む。男性のみで行なわれていた。13 ~ 2 5歳のワカカ夕、25~39歳のナカカ夕、40歳以上のトゥスイカタの3か所に分かれて行なっていたが、昭和12~1 3 (1937 ~ 38)年頃からは、戦争のために人が少なくなったので、1か所で行なうようになっていた。若い人たちが先輩のところあいさつへ酒などを持って挨拶に行っていた。13歳以上から5~ 1 0銭の会費徴収があったが、グムチもあったので、そんなにお金を出さないですんでいた。最終日にはサンミンジリが行なわれた。.旧暦5月4日<ハーリー>海神祭。リューグーシンを拝む。クェーヌナカヤードゥイ(桑江ヌ中屋取)を中心として、クェー(桑江)、クェーヌメ一ヤードゥイ(桑江ヌ前屋取)、クェーヌクシちゃたんそんヤードゥイ(桑江ヌ後屋取)の4集落合同で行なわれた。北谷村のひょう三大祭りの1つだったので、費用は北谷村から出ていた。中部地区152 -カーラヤー:瓦ぶきの家。《間取り調査風景》-ガンヤー:禽を納めておく小屋。-ガン:識。葬式のとき、死者の棺を入れて墓地まで運ぶためのもの。・ニングヮチヤー.旧暦2月に行なわれる行事。集落や組単位で酒宴を開き、余興をして楽しむ。圃ワカカタ:若者の組。圃ナカカタ・壮年の組。・トゥスイカタ:年寄りの組。-グムチ:集落の財産。-サンミンジリ:決算報告。-ハーリー:旧暦5月4日に行なわれる船の競争行事。-北谷村の三大祭り:①北谷長老祭②海神祭③野国総官祭

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