北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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くわえちゃたんンプ桑江第lゲート(軍病院入口)あたりから始まり、北谷郵便局わんきょくとおの湾曲したあたりに通っていた。この部分以外は、戦前の道と同じそばである。話者によると、ジャーガルミチというのは、道の側にあったジャーガルヤードゥイ(謝苅屋取)と、粘土質の土質からついた名前ではないかと言う。1坂道|アカヒラ-1ジャーガルヤードゥイ(謝苅屋取)の屋号コンゴロートーヤマ(コンゴロー当山)へ行く坂道。ジャーガルミチの一部を言う。県じゃカバる道24号線とほぼ同じだが、戦前の道の始まりは、現在の謝苅入口くわえよりも北側にあった。キャンプ桑江第1ゲート(軍病院入口)あたちゃたんわんきょくとおりから始まり、北谷郵便局の湾曲したあたりに通っていた。その部分が坂道になっており、アカヒラーと言った。周辺の山は赤土で赤く見えていた。UEヨ一一手一ゎイチグスクにあった割れ目。ガンヤー寄りにあった。上の方はじよそうlm80cmぐらいの幅が開いており、そこを助走をつけて飛び越すという遊びをしていた。高さは8mぐらいあった。話者によると、マヤーガマの名称の由来はわからないと言う。融山一わ一丘一わ一クェー(桑江)にあった。現在の県立北谷高等学校の下あたりである。大昔、その周辺まで海で、このアンプシモーに網を干していたという言い伝えがある。→桑江のアンプスーヤマグヮーを見よ。|アンブシモー1[※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]チョ一口ーヤマのところにあった。大昔、その周辺まで海で、そほこに網を干す場所があったという言い伝えがある。→タメーシ(玉代勢)のチョ一口ーヤマを見よ。11;也j召.Lクムイ|屋号カーラヤー力ンジャーグヮー(瓦屋カンジャー小): 3のところにあった。委話(馬・牛)に水浴び、をさせるのがやっとの広さだ、つ143 -キャンプ桑江(キャンプ・レスター):沖縄本島中部にある米海兵隊基地。米海軍病院がある。・ジャーガル・粘土質の灰色の土。ジャーガル土質で作られた芋は、大きいが昧はあまりよくない。《間取り調査風景〉《間取り調査風景》

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