北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1崖lトゥタティハラガー|ぜつべきウフモーの下あたりで、戸を立てたような真っ直ぐな絶壁。山道があり、草刈りや薪取りに利用していた。ずけらん現在、キャンプ瑞慶覧内である。以前、米軍将校クラブがあったあたりの南側で、今でも山になっている。11小ハル名|イリバル|ウフモーのあるあたりを言う。土質はマージ。ずけらん現在、キャンプ瑞慶覧内である。|メーヤジパル|イモメーヤジの家屋敷と畑地がある一帯。農作物はサトウキピ、芋などを作っていた。土質は主にマージで、一部はジャーガル。ずけらん現在、キャンプ瑞慶覧内である。一一一「ν一一.,,一豆、一一,J-11一! 一ガ一一ア一イモクシヤジの家屋敷と畑地がある一帯。農作物はサトウキピ、芋なかいこんちどを作っていた。土質はマージ。昔の開墾地であるため、真ん中にジャーガル地が少しあり、その周囲はマージだった。田んぼの近くに、雨が降ったときだけ流れる川があり、その周辺はチューチチジャーガルだった。ずけらん現在、キャンプ瑞慶覧内である。生活道クェーウリグチI(※編注:位置不明確のため、地図上には記載していない]屋号ハルーウンチュー:9のところから西側へ行き、崖っぶちからお下りて行く山道。クェーエキへ下りて行く道。坂道で、人が歩いてとお通れるぐらいの道だった。→桑江ヌ前屋取のクェーエキを見よ。|フトゥキントーミチ|ウマニーミチとも言う。ナケーマヤードゥイ(仲山屋取)の屋号そItとおユシガーの側を通り、ウフミチにつながる道。ヤジヤードゥイ(屋宜屋取)とナケーマヤードゥイ(仲山屋取)をつなぐ大きな道だったが、坂道で地形が悪かった。馬車は通ることができず、馬の背中のに荷物を載せて運んでいた。そのため、ウマニーミチとも言っていのいた。サトウキピや砂糖など2丁ずつ載せて運んでいた。128 -キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊墓地。-マージ:赤土質の土壌。マージでできた芋は小さいが美味しい。-ジャーガル:粘土質の灰色の土。ジャーガルでできた芋は大きいが昧はあまりよくない。-チユーチチz固い土。

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