北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
131/504

ヤジヤードゥイ11行政字名|タマウエ|あざ(屋宜屋取)字玉代勢に属していたが、昭和14 (1939)年にヤジヤードゥイぎょうせいあざぷんりどくりつ(屋宜屋取)とともに行政字として分離独立し、「玉上(たまうえ)Jとなった。これはタメーシ(玉代勢)の上(高台)に位置しているという意昧でついた名である。それが戦後に「玉上(たまがみ)Jと呼ばれるようになり、現在に至る。1社会的区分その他』ヤジナケーマ|屋宜仲山。ナケーマヤードゥイ11組|メーヤジ|(仲山屋取)と併称して言う。前屋宜。メ一ヤードゥイとも言う。集落の組分けの1つ。集落の西側に位置した13軒を言う。|ナ力ヤジ|中屋宜。ナカヤードゥイとも言う。集落の組分けの1つ。集落の真ん中、メーヤジとクシヤジの聞に位置した12軒を言う。|クシヤジ|後屋宜。クシヤードゥイとも言う。集落の組分けの1つ。集落の東側に位置した15軒を言う。i河)11 lクシヤマガーラ|そばアラ力一ガーラの一部を言う。クシヤマの側を流れているので、その部分をクシヤマガーラと言う。→仲山屋取のアラカーガーラを見よ。11山地|クシヤマ|そばアラカーガーラの側にある山。集落の後ろ側の山という意昧でクシヤマと言う。松の木が生え、ヤマモモの木も1~2本生えていた。→仲山屋取のアラカーガーラを見よ。127 《間取り調査風景》

元のページ  ../index.html#131

このブックを見る