北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1製糖小屋@ aサーターヤ-1共同製糖小屋。屋号マチューアガリグヮー(マチユ一東小): 31のさんさる西側、三叉路のところにあったサーターヤー。ウィーグミの人たちじひで共同使用していた。維持費はl丁あたり、いくらというふうにじ〈ぎつ賄っていた。サーターグルマの軸木を漬けるサーターヤーグムイがあった。|サーターヤー|共同製糖小屋。屋号ナーカグヮー(ナーカ小): 7の北東側角にあったサーターヤー。シチャグミの人たちで共同使用していた。じひ維持費は1丁あたり、いくらというふうに詣っていた。|サーターヤー|製糖小屋。屋号ナーカグヮー(ナーカ小): 12の北西側にあったサーターヤーである。屋号ナーカの個人所有だった。|サーターヤー|製糖小屋。屋号ハナドーサチパルグヮー(花堂崎原小): 2の個人所有のサーターヤーである。屋敷の南側にあった。|サーターヤー|製糖小屋。屋号ウフサチハマ(大崎浜): 16の個人所有のサーターヤーである。屋敷の南側にあった。1広場錨|ナカズニモー|屋号サンナンヤマーサチパルグワ一(三男ヤマー崎原小): 23の東なな南側にあった。平坦で広く、南側にちょっと斜めになっていた。ナケーマヤードゥイ(仲山屋取)の人たちの遊び場所だった。モーアすもうシビをしたり、相撲をとったりして遊んでいた。大きい松があり、その枝を取って、ウンケーのトゥブシにした。|ウフモー|集落の北西方向にあった。フナウクイモーとも言う。ナケーマヤードゥイ(仲山屋取)とヤジヤードゥイ(屋宜屋取)の人たちがフナウクイをする場所だった。船が出る場合には、必ずダンジユカリユシで見送っていた。見晴らしが良く、太平洋と東シナ海の両方を見ることができた。地主はナケーマヤードゥイ(仲山屋取)の人だった。119 -サーターグルマ:サトウキピを圧搾する装置。-モーアシビ:農村で夜、若い男女が野原に出て遊ぶこと。三味線・歌・踊りなどをして楽しむ。・ウンケー:各家で祖霊を迎える盆入りの行事。迎え盆。・トゥブシ:松の根元から取る木くず。火がつきやすいので火口に使われる。-フナウクイ:見はらしのいい場所から、旅に出る人の安全を願い、船を見送ること。・ダンジユカリユシ:船出の祝い歌。身内のものが旅をするとき、一族が集落の広場あるいは高台に集まって、航海の無事を祈願し、これを歌った。

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