北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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じくぎつグミのサーターグルマの軸木を漬けていた。11湧水井戸画llイジュングヮー|共同井戸。3か所あったうちのlつ。屋号ウズマー13の北側にあった。ニーブで汲むことができた。日照りのときには水量がi戒っていた。現在、井戸があった場所は道になってしまったが、ウジュマーヌクシヌカーとして、ナケーマヌカーとウフヌカーとともに合間さひれ、碑が建てられている。|ウフヌ力一|共同井戸。3か所あったうちのlつ。屋号クシウズマーグヮー(後ウズマ一小): 6と屋号セーコーアガリグヮー(盛功東小): 5のわ簡にあった井戸。イーフから湧き、豊富に水が流れ出していた。二一プで汲むことができた。石やセメントで作りこんだ井戸ではなく、簡単な造りだった。水がどんどん流れ出し、ヌーファガーラに流れ込んでいた。話者によると、現在でも残っており、畑に流れ込んでいると言う。ひごうし現在はイジュングヮーだったところに碑が建てられ、合杷されている。it屈井戸⑨ シチャヌ力一|共同井戸。3か所あったうちの1つ。屋号サンナンヤマーサチパルグヮー(三男ヤマー崎原小):23の近くにあった。サーターグルマじくぎつなかぐす〈の軸木を漬けるためにも利用していた。中城地番だった。14喬自|ヌーファバシ|昭和の初め頃に造られた石橋。イシジェークーだった屋号ハナドーサチパルグヮー(花堂崎原小)が造った橋。幅は2間半(4.5m)で、長さは6間(10.8 m)だった。橋から水面までは5mぐらんかんらいだった。両方に欄干があった。ヌーファバシを境にして、ナケーマヤードゥイ(仲山屋取)の土地とタメーシ(玉代勢)の土地に分かれる。かし、あと話者によると、橋は戦争で破壊されたが、現在も跡が残っていると言う。118 -サーターグルマサトウキビを圧搾する装置。.ニーブひしゃく。《カーの碑》-ィーフ:大雨などで運ばれてきた土。琉出土。多くは肥えている。.ニーブ:ひしゃく。-サーターグルマ:サトウキビを圧搾する装置。-イシジェークー:石工。《ヌーファパシがあった付近》

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