北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|イシマラ|ジャーガルヤードゥイ(謝苅屋取)の人の畑があった。上の方にはナケーマヤードゥイ(仲山屋取)とタメーシ(玉代勢)の人の山もあった。墓もいくつかあった。イーフで、掘りやすい土壌なので、そこを掘り込んでガマにして、遺体を入れた。ンナトゥグワー石やシマ石で蓋をした。ガマの中は、雫が主れ下がってきて柱のようになっている(遍lflせき石)。石が生まれるということでイシマラと言った。大雨のときには水が流れ込み、流される危険があるため、近寄るなと言われていた。以前の米軍将校クラブがあったところと、ナケーマパルの簡にある。現在、崖にセメントが張られているところの下あたりで、墓が多く造られている。|卜ウールガマ|マテーシグワーガマとも言う。ヤジヤードゥイ(屋宜屋取)の屋号ハンタクミシグヮー(ハンタ米須小)の側にあったガマ。普段、ほとんど水は無かった。メーヤジとナカヤジからの水が流れ込んでいた。大雨や長雨が続いたときには、トウールガマから水が流れ出し、アラ力一ガーラへ流れ込んでいた。話者によると、流される危険があるので、大雨のときには近寄るなと言われていたと百つ。「けらんはいすい現在はキャンプ瑞慶覧内で、軍の排水に利用されている。→屋宜屋取のマテーシグヮーガマを見よ。丘色ヒージャーモーI[※編注・位置不明確のため、地図上には記載していない]ヒージャーガマの前はモーだった。そんなに広くなかった。i野原選議lサチバルモ-1メーヤジへ行くサカミチを上って、ちょっと平らになるところにかいこんあった。カヤモーだったが、開墾して畑にしていた。農作物は、サイモトウキビ、芋、豆などを作っていた。屋号チーチーヤーサチパル(乳屋崎原)が所有していたので、サチバルモーと言う。→屋宜屋取のメーヤジを見よ。1池沼. サーターグムイ|屋号ナーカグヮー(ナーカ小): 12の西側にあったクムイ。ウィー117 -ィーフ.大雨などで運ばれてきた土。流出土。多くは肥えている。・ガマ:洞窟。(まら穴。・ンナトゥグワ一石:具志頭村港川で採石される黄褐色の石灰岩。粟石。・シマ石:サンゴ石灰岩。-ガマ:洞窟。ほら穴。-キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター):沖縄本島中部にある米海兵隊墓地。-モー:原野。野原。原っぱ。-カヤモー:屋根を葺くのに使う茅を生やしていた野原。-クムイ:池。沼。

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