北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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1停車場畠lエキグヮ-1かでなちゃたんつうがく沖縄県営鉄道嘉手納線の北谷駅。話者は通学のため、毎日利用していたと言う。→北谷のエキグヮーを見よ。1学校命|キタタマショーガッコ-1きたたまじんじようあと北玉尋常高等小学校。バンジュの跡に作られた。戦時中は日本軍の兵舎となっていため、生徒たちは各集落のムラこかげrヤーや木陰などを利用して勉強していた。→北谷のキタタマショーガッコーとバンジュを見よ。1製糖小屋⑫ 』サーターヤー|屋号ミーヤシチグヮー(新屋敷小):25の南側にあったサーターヤー。集落の人たちで共同使用していた。サーターグルマがあり、馬で引いて回していた。馬は持っている人に借りて、イーマールーで返していた。絞った汁を鍋で煮詰めるために、松やサトウキビの絞りがほねんりょうかりょ〈らを干したものを燃料にしていた。もっと強い火力が必要なときせきたんまには、石炭を少し混ぜた。製糖期が終わると、サーターグルマははじ〈ぎずして、横に倒して置いた。サーターグルマの軸木は、屋号イーパシガー17の東南にあるクムイに漬けておく。窯はそのまま置いた。サーターヤーで処理できなかった分は、荷馬車に積んで、ケンドーとおかでなを通り、嘉手納の製糖工場へ持っていった。エイサーの練習場所でもあった。1拝所禽|ヤマガマー|はいしょちんじゅ拝所。鎮守の森。リンド一(伝道)の発祥の地と言われている。リンドーガーより一段高くなっており、屋号トゥンチ(殿内): 9よりも少し上がったところに位置していた。屋号イリーチクルン(伊さいだん礼築登之): 21と同じぐらいの高さであった。祭壇があった。話者によると、ヤマガマーという、ガマの名がついているが、ガマについてはわからないと言う。1寺命|ジュショーイン|樹昌院。タメーシ(玉代勢)の屋号クェードゥンチ(桑江殿内)100 -沖縄県営鉄道嘉手納線:嘉手納・野国・平安山・桑江・北谷・大山・真志喜・大謝名・牧港・城間・内問・安里・与儀・古波蔵・那覇の15駅があった。-北玉尋常高等小学校:北谷尋常高等小学校の分教場であった。大正3(1914)年に北玉尋常小学校として開校し、大正6(1917)年に高等科を設けて北玉尋常高等小学校となった。・ムラヤー:集落の集会所。-サーターヤー・製糖小屋。・サーターグルマ:サトウキどを圧搾する装置。・イーマールー:順番に労力交換を行なうこと。-嘉手納製糖工場・沖縄製糖株式会社の嘉手納工場のこと。明治4 5 (1912)年創業。・エイサー:旧暦7月の盆の夜に行なわれる行事。各集落の青年たちが行列をなして腕り、各家を回る。-ガマ:洞窟。ほら穴。

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