北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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|イナダガー|屋号パシガーイリー(パシガー伊礼): 15のところにあった井戸。水はあったが、飲み水としては利用せず、手足を洗うぐらいであった。ニーブで汲むことができた。井戸の下の方がシッティになっていたので、そこにターンム(田芋)を植えたりしていた。はいか昔はチャタングスク配下の井戸で、その周辺には家がなかったのによかんせんたくで、女官たちが水浴びしたり、洗濯するのに利用していたという言い伝えがある。おがきゅうか集落行事としての拝みはないが、旧家のムンチューで個人的な拝みをしていた。話者によれば、井戸は米軍に埋められてしまい、現在は残っていないかもしれないと言う。仲間|ヌーファバシ|シリンカーに架かる橋。ナケーマヤードゥイ(仲山屋取)に向かう道の途中にあった。リンド一(伝道)の人たちも、ヌーファパルに畑を持つ人などが利用していた。→仲山屋取のヌーファバシを見よ。|チャタンバシ|いしづくシルヒージャーに架かっていたアーチ型の石造りの橋。パスやとおがんじようプルトーザーなどが通れるぐらい頑丈な橋であった。1トンネル⑥ 'チャタントンネル|きaう0ょうほ由イチグスクの正陵を掘り抜いて造られたトンネル。ケンドーから、トンネルの上にのぼる小道があった。のぼったところは、松林こかげになっていて、その木陰は、人が座れるぐらいの広さがあった。いい遊び場所だった。こうない坑内の高さは10""'20mぐらいで、そんなに高くなかっため、じゅうきとおトラックや重機が通れず、日本軍によって昭和19 (1944)年頃にこわ壊された。現在の謝苅入口とシルヒージャーとの間あたりにあった。全部住宅地になっており、イチグスクも残っていない。→北谷・桑江ヌ前屋取のチャタントンネルを見よ。99 -ニーブ:ひしゃく。・シッティ:沼地。-ムンチュー:門中。父系血縁による一族。主に祖先祭杷を行なう集団。

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