北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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た。げんけい現在も原型が残っている。|ジャーガルビラI[※編注:P199I戦時中の謝苅屋取~桃原屋取」の地図に記載]すベジャーガルミチの途中にある坂道。雨が降ったら滑るので、石をしついしだたみみちとお敷き詰めて石畳道にしてあった。馬車は通れなかった。ジャーガルビラには、イニンビーが出るという有名な話がある。話者も旧歴8月14 ~ 1 5日の夜にイニンビーを見ょうとしたが、見たことがないと言う。道筋は現在も残っている。→謝苅屋取のジャーガルビラを見よ。1野原鍛|エンナーモー|エンナーとも言う。集落の北東方向にあった広場で、チュラガサーにかかった人を隔離していた場所である。チャタンサン力の人たちが使用していた。山のてっぺんで、風通しがよい場所だった。松うっそうこわ林だが、欝蒼としているわけではなく、陽が差し込んでいたので怖い場所ではなかった。話者によれば、ガマなどはないが、集落から離れているので、隔離場所にされたのではないかと言う。エンナーモーの周囲には墓やガヤモーがあった。現在、米軍消防署から謝苅に向かう道の左側あたりとなる。;也沼・ーしクム引リンドーガーから道をはさんだ南側で、リンドーガーの水が流れ込んでクムイになっていた。深さは50cmぐらいで、深いところじくぎつでも70~80cmぐらいであった。サーターグルマの軸木を漬けるクムイであった。軸木は水に漬けておけば、シロアリ(白蟻)が入らず、何年でも使えた。泥沼なので、そこで遊んだりすることはなかった。字有地である。匿互亙屋号イーパシガー17の東南側で、チンガーの水が流れ込んでクあふはいすいこうムイになっていた。水が道に溢れないように排水溝があって、イナダガーの下に流れるようになっていた。字有地である。|ナービグムイ|きしゃシガグムイとも言う。タマタのところにあったクムイ。汽車の水97 -ィニンビー:ひとだま。死者の遺念が火となって現れるとされるもの。-チュラガサー:天然痘。癌宿。-ガマ:洞窟。ほら穴。-ガヤモー・屋根を葺くのに使う茅を生やしていた野原。・米軍消防署:キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター)の消防署。県道130号線沿いにある。-クムイ:池。沼0・サーターグルマ:サトウキビを圧搾する装置。-クムイ・池。沼。

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