北谷町の地名 -戦前の北谷の姿-
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はじめに本報告書は、平成11年度から平成17年度にかけて行なわれた「北谷町陸地地名調査」の成果をまとめたものである。北谷町は、沖縄戦における米軍上陸地点となり、戦後は全域が米軍の占領地となった。そのため、住民は村外への居住を余儀なくされた。その後、部分的に土地が返還されたものの、依然として嘉手納基地・キャンプ桑江・キャンプ瑞慶覧の3つの米軍基地があり、町面積の約53%を占めている状態である。米軍基地建設にともない、土地の様子は急激に、かつ大規模に変わった。嘉手納地域とも分村することにもなった。また、米軍用地以外の場所も、都市開発や宅地開発などによって、現在も変貌が続いている。このように地形や地理が変わってゆくなかで、かつてあった風景、そして地形や地理にまつわる民俗知識の多くが忘れ去られ、失われつつある状況である。土地にまつわる民俗知識は、生産や漁労、祭組、儀礼、経済活動、政治にいたるまで、人々の生活のさまざまな側面に深く関わっている。そして、土地についての知識・記憶・空間感覚といったものは、忘れ去られつつあるものもあり、一方で現在生きている人々の地理・空間感覚のなかに強固に存続しているものもあるが、いずれにせよ、過去、人々の生活のなかに息づいていた土地や風景の記憶の一つ一つが、「現在」の土地や風景をより良く知るために貴重な資料であり、可能なかぎり正確に記録・保存され、後世に残されるべきものである。そのため、今回、土地の様子が大きく変わった沖縄戦以前、現在の北谷町域に相当する地域に存在していた23集落を対象とし、そこで使用されていた地名と、それにまつわる民俗知識の調査を行なった。戦前の景観を記憶する方々の記憶を頼りに、地籍図や米軍撮影空中写真を用いながら、戦前の北谷の復元を行ない、その結果を文字記録として保存することを目的としたのが本報告書である。この報告書によって、戦前を知る方々には懐かしい北谷の姿を、また戦後生まれの方々には新たな北谷の姿を発見をしていただけることと思う。北谷町民をはじめ、北谷町域の地理や民俗についての知識を求める人々に、広く活用されるよう願ってやまない。最後に、本報告書の発刊にあたり、ご指導・ご協力いただきました多くの町民の方々、さらに各関係者の方々に対し、深く御礼申し上げるとともに、今後ともなお一層のご協力をお願い申し上げたい。6

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