北谷町の綱引き
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るが、それぞ、れ持っている物が違うo1人は瓢箪を持ち、l人はクバオージを手に持っている。1986年に行われた時の衣装は全員同じ芭蕉の着物をつけて、黄色のマンサージを女結びにして笠をかぶり、足袋は履かずに黒い鼻緒の草履を履いた。手に持っている道具は杵、瓢箪、ミージョーキーであった。(写真2-94) 口.上り口説ライトブルーの紋付きの着流ーリ蝿弘品、R旧日端科白しに、あずまからげ(つぼみ)にして、帯は黄金色のおしこみで締め、頭には白請け鉢巻きをしている。二才踊りの着付けの仕方で、両側の裾を上につまみあげて帯にはさむことを「あさタまJをとるという(町甲求舞E面、1985: 1)。足は白黒縦縞のキハンをつ"A 写真2-95・96上り口説けて、自足袋に赤い鼻緒の草履を履いている(写真2-95・96)。両手には末広の扇子を持って踊る勇壮な姿の二才踊りである。1974年は黒衣装であった。1986年は牒脂の帯をおしこみで、頭は前結びで巻いていた。ふくらはぎには白黒キハンに、白足袋に黒い鼻緒の草履で手には末広の扇子を持っていた。ハ.揚口説3人で踊る。緑の半襟に山吹色の着物、黄金の帯には赤や緑の花文様が施されている。帯は貝の口で結び、足には自のステテコ、白足袋に赤い鼻緒の草履で、手には陣笠で金色の縁に紋付きである。紅白のねじり紐を肩から下げて花龍をもって踊る場面もあり、その問は陣笠を被っている(写真2-97・98)。写真2-97・98揚口説踊りを終えると道具を保安要員が運び移動していく形を取っている。1986年の衣装は薄紫の着物で、扇の柄の帯をして白足袋に草履を履いていた。1986年の場合は、花龍は手作りであったが、今回の1998年の綱引きの場合には花龍を具志川市の衣装を入手したところで一緒に購入した。なぜ1974年の際には揚口説がなかったかという聞いに対して、本来は「高平良万歳」と演目は決まっていたが、覚えられなかったので1人で踊った。そのために1986年からは揚口説にかえた(仲村渠敏子さん談)。nuu nHd

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