北谷町の綱引き
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⑦ 字玉代勢のミルク(弥勅)衣装今回の大綱引きでは、樹昌院の住職(喜瀬守)と副住職(喜瀬志郎)親子がミルクに扮した。玉代勢にミルクが存在するのは何故か?、またどうして玉代勢だけからでるのか?といった詳しい伝承はどなたからも得られなかった。しかし、住職の話では、人々の弥助信仰によって弥勅菩薩が現れ、世果報(ユガフー)や嘉利(カリー)をムラ人にもたらし、幸せに導いていくという意味から存在するようになったのではないかという話が聞けた。ミルクに扮する人を選定するのには特別に決まっていることはなく、年齢や生まれ年も関係ないとのことであった。戦後の第l回目はミルクはミチジュネーには参列していなかった。ミルクが復活したのは1986(昭和61)年の大綱引きからである、1986年の大綱引きでは、住職の喜瀬守さんと照屋宏さんがミルクに扮した。現在のミルク衣装や仮面を保管する津嘉山政徳さんによると、ミルクの衣装には特別な呼称はなく、単にミルクヌチン(弥軌の着物)と呼んまとでいるという。戦前・戦後とミルクの衣装に変化は見られず、現在の様な黄色の衣装を纏っていたという(字玉代勢照屋光久さん・宮平苗さん談)。1998 (平成10)年のミルクは、白い手袋をはめ、右手に軍配団扇をもって団扇を左右に振り、足もとは自足袋に白い鼻緒の草履を履いていた。そして、ミルクの体型のふくよかさを演出するためにお腹の中にタオルをいれたり、鍋をいれたりして膨らませていた。ミルクは字玉代勢のミチジュネーの先頭に付く。ミルクの仮面は戦後字で所有してなかったので照屋秀さんが、八重山出身の知り合いに頼んで仮面を借り、衣装は那覇の市場にて購入した。3回目の仮面は津嘉山政徳さんが那覇の市場で購入した。しかし実際に被ってみると、仮面がとても重く息がしにくかったことから、再度仮面の中を削り取り、空気穴を大きくあけたりと工夫をした。戦後、ミルク衣装と仮面は北谷大綱引きが終わると、津嘉山政徳さん宅の倉庫に大切に保管されているが、戦前のを保管していたという記憶のないことから、恐らく当時は村屋に保管されていたのではないかという話であった。写真2-64 1986年のミルク({中米政縫氏j霞影)-79-

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