北谷町の綱引き
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⑥ フェーヌシマ(南之島)フェーヌシマは、黒の薄手の空手着(胴着)に、フェーヌシマ棒を持って演じる。黒のじ1"f;fおり空手着の上からは、水色のサテン地に袖なしのチャンチャングヮーと呼ばれる陣羽織をはおる。本来フェーヌシマは、メンダカリとクシンダカリに一組ずつ編成され、陣羽織の縁取りもメンダカリが紫、クシンダカリが黄色と決められている。しかし、今回の大綱引きでは、人数不足によって1組だけの出場であったため、メンダカリのカラーである紫色で縁取られた陣羽織をつけていた。陣羽織の上からは、クブシーという五角形の腹掛けを前に掛けている。rクブシーとは中国よりもたらされたものが胸当てとして南島一円で比較的近年まで用いれられたものであろう」と記している(W琉球服装の研究~1991: 144)。また『東思納寛惇全集5巻』では「農村婦人の胸当で、汗カザミのことをユダチという。本来は汗取りの肌衣が後に弓取りの胸当てに転用されたJとある(東恩納、1978: 565)。頭にはキジムナーを連想させる赤カントゥー(かつら)を被る。赤カントゥーは1本1本手芸用のオレンジ色のビニール組を結んで髪形を整えていく。まず最初に手芸品店の人から習って、婦人部の婦人たちが、手作業で作製した。小道具にはフェーヌシマ棒がある。フェーヌシマ棒は、沖縄市の中央パークアベニューにあるスポーツ庖で購入した。棒の先には3個の輸が取り付けられていた。フェーヌシマの衣装は戦前・戦後とクブシーの柄とカントゥーの色以外にほとんど変化は見られないという。戦前も現在と同様に黒の空手着に、柄の無いクブシーにチャンチャングヮーをつけていたという(字北谷の照屋正吉さん・上間盛英さん・嘗山苗盛さん談)。フェーヌシマを指導してきたノロ殿内の末吉清信さんが保存する前回の写真を見ると、カントゥーの色は赤紫に近い色の手芸用のビニール紐であった。戦前は、フィリピンウー(マニラ麻)やシマウー(島芭蕉)の繊維を染めてカントゥーを作製していたという。保管については村屋で保管していたのではないかという意見が多いがはっきりしない。しかし現在は保管場所も大変で難しいことから、綱引きを終了すると参加記念として支給している。写真2-62字北谷フェーヌシマ(前)写真2-63 字北谷フエーヌシマ(後ろ)nxu ワt

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