北谷町の綱引き
81/234

チ.黒島口説ていさーじ頭には花染め手巾を巻いて、クバ笠を被った。黒地に黄色のタティアヤーの中に、トゥイグヮ一文様がはいっている着物で、帯は本物のミンサ一帯を締めており、素足に赤い鼻緒の草履を履いていた。リ.貫花字北谷の衣装は、黒地にミヂグム(水雲)やトーニーの文様がはいっている。写真2-53黒島口説この柄は那覇では「クジリゴーシ(崩れ格子)J、首里では「ムルドゥッチリー(総緋)Jと呼ばれているもので、北谷ではほとんどのお年寄りが「クジラゴーシJと呼んでいた。頭を琉髪に結い上げ紫の長巾にて女結びをし、右肩袖抜きで、腰には紫の長巾を締めていた。そして、貫花(紅白の花を糸で綴ったもの)を首にかけて踊った。字玉代勢の衣装は黄色地のクジリゴーシを字北谷と同様に着付けを行った。写真2-54字北谷写真2-55 字玉代勢ヌ.祝い節字北谷は、紫地の着物にハサンビーマー(はさみ)・イチチマルグム(五つ丸雲)の文様がはいっている。丈は長めに着付け、着物と同じ紫色の扇子をもって踊る。足もとは白足袋に赤い鼻緒の草履を履いた。頭にはタオル掛けをして、その上から紙笠を被った。1986 (昭和61)年の大綱引きでは、手にデイゴの造花を持って踊った。また着物も本バサーで着物丈を短くし素足に草履であったという(仲村渠敏子さん談)。しかし、今回は「自分たちにもチュラジンを着せてほしいjという婦人たちからの要望により、華やかな紫の衣装に替えたのだという。字玉代勢の衣装には、緑地に黄色のインヌフィサー(犬の足跡)の文様がはいっており、婦人たちは扇子を持たず手踊りで踊った。-76-

元のページ  ../index.html#81

このブックを見る