北谷町の綱引き
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図2-34 互いに向かい合い、上体を反らす.そして、銅鋸の音に合わせて、足踏みをして、主右の手は交Eに中段突きしながら、歌を歌う,歌が終わると、k体を反らす.飛び跳ねながら正面iを向く.上体を反らす.1 91J縦隊になり、鉦打ちを先頭に小走りで反時計l句lりに阿りながら、各自の様を取る.そして、2~日j縦隊になり、入場と同様に棒を地に突きながら、数歩前進して終了(戦前はこの動作ではなくダチムッチーで終了したという).註(1) rr那覇市文化財調査報告書第l集那覇安里のフェーヌシマ.!I(1981)、大城準Iフェーヌシマ系の芸能J(1992: 37-38)を参考にした.また前者では伊江村字西江前の『あかきなlも含まれていたが、筆者の見た限り同系統の芸能とは思われない.また、後者の論文でも含まれていなかったため、fあかきな』は一覧からはずした.(2) 大城準、前掲問、1992: 37 (3) 新里まゆみ、1998年調査メモより(4) o'北谷町史J(1994)では、鉦打ちl人、演技者8人の9人とある.(5) 金城睦弘は、北谷長老祭で演じられたフェーヌシマの様子について次のように報告している(1976 : 122). 北谷長老祭は毎年八月十五日(旧暦)に行われ、その日は獅子を先頭にした南の島踊の・聞が村屋から長老前山まで道スネーして、長老前に演技を奉納した.夜になると、ムラヤーの前に作られた仮設舞台では『組踊伏山敵討jなどと共に南の島踊が上演された。(6 ) 金城睦弘の報告(1976)や『北谷町史.!I(前掲問)と今回上演されたフェーヌシマとでは、演-66-

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