北谷町の綱引き
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(前略)先づ銅鐸をた与きながら一人の男が舞台に飛出すと、続いて亜鈴様のものと一端に金輪をつけたジャンジャン音のする棒を持って八人の男が出て来た。亜鈴を置いて銅鐸の音に和して舞台を廻りながら躍った。次に棒を亜鈴に代へ坐してシュンジナリタヤヒャクナリフヒルヤガマクニサギラリティクールーピンクールービンユルヤウスパニウカサリティクルピンクルピンの歌を歌ひ立ってワシタガウームイスルユーアリチミンサマサジントガナラワシッカリシッカリシシャシガウシユーイアンヌチラアンチポクーポーと歌ひながら、変な所作を演じた。更に棒を置き空手で、サマワマチュシヌジマヤスリヤマヌミンポウジャガルカニヤサングヮンカニウジュミヌクジュミディンヌメーヌヤークヤーククチョーヤサミシンスリヤマダヌフトゥキウングルシングルキジムンジャシヌマチュシマチュヤマヌミンボージャガルターチヌミンブニチンチキテイタチヌミンプニミシタクトゥスリイーメンイメンチクチクテンスリイーメンイメンチクチクテンヤマイラパヌシヤマイリタチジトゥイウナイタミスヤマピルダチンダラヨと云ふ訳の分らぬ歌を歌った。(後略)※原文では、歌詞はローマ字表記であるが、ここではカタカナ表記にした。前半の『シュンジナリタヤ~アンチポクーポーJまでの歌詞については、那覇市安里のフェーヌシマの中で踊られている「ひょうたん踊りjの歌調と類似している。このような歌詞は宜野湾市普天間で演じられていたフェーヌシマでも一部ではあるが同様の歌詞であったことが『宜野湾市史』で確認できる(1985: 559)。この他、これと同様な歌調は名護市字辺野古や金武町字伊芸のフェーヌシマでも歌われている。後半のfサマワマチュシヌ~ヤマビルダチンダラヨjの歌詞は、北谷のフェーヌシマと同じ言葉が各所にみられ、同系統の歌詞と思われる。現在のところ、この系統の歌詞は他の地域では見られず、宜野湾の新城と北谷のフェーヌシマのみにみられる。-56-

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