北谷町の綱引き
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した。また、上端の金属輪も鉄製であったのをステンレス製にした。前固まで先端の金属輪や止め具が外れて人に当たることがあったため、外れないように補強されている。金属輸は、必ず3本の輪が交差するように取り付けるという。⑤時翻恕怒lI:IlIII:lI@如ー写真2-31 1974年の大綱引きで使用したフエーヌシマ棒(上)と写真2-32 先端部の金属輪今回(1998年)使用した俸(下)かねど鉦直径30cm程度の真鍛製の銅鑓。上下に2個ずつ穴を開けて紐を通し、そこに左腕を差し込んで持ち歩く。へ.歌調演技の最後にみんなで銅鑓の音に合わせて歌を歌うが、歌調の意味について、ほとんどの方がわからないということであった。しかし、末吉清信さんは、歌調全体の意味は知らないが、その一部を以前に古老から聞いたことがあるという。それは次写真2-33 鉦打ちの二人の通りである。金はジャーシ(座主?)が持っている。相手(敵)は松林の中から、姿勢を低くしながらのぞいている。だから眠ってはいけない。歌詞は以下のとおりである。カーニヤサングヮンジャーシヌウージューミーヌクージューミウングルシングルマーチヌヤママーチヌシンカラミンボージャーガターチヌミンブリチンチキティスリイーメンイーメンチクチクタンターチンターマーヨー(ハウーハウッ)佐喜真興英は『シマの話』で宜野湾村(現市)新城のフェーヌシマについて紹介しているが、その歌詞が北谷の歌詞と類似しているので引用することにする(佐喜真興英、1982: 259"-'262)。Rd Fhd

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