北谷町の綱引き
55/234

サーニーの前を通って玉代勢に入場した。玉代勢のナカミチは、北谷のンマイーよりも道幅が狭いことから、青年達が通りの木を伐採して旗頭が通過しやすいようにした。また屋敷の垣根に竹や板などを使って観覧席を設けた。観覧席は、親戚の方々用にと設置したところもあった。この日は那覇、宜野湾方面からも多くの見物人が訪れたので、ナカミチ周辺の木や草を踏んで葉がなくなるほどであった。ナカミチ近くの家では、鍋にお茶を沸かして踊り手に振る舞ったり、チブガ一(湧泉名)にも人が集まって水を飲んでいた。また綱引きの当日には出庄も並んだ。出店は“イージュテンプラ"というテンプラ屋が浦添の伊祖からやって来た。鍋を持ってきて綱引き場から離れた所で商売をしていたが、離れていても匂いがするので買いに来る人はいた。テンプラは中身のない、カタハランブ一(タラシーアンダギー)で値段は2"-'3銭であった。この他にもスイカ売りや、ジーマーミー売りが来ていた。スイカ売りは仲西辺りから荷馬車にスイカを積んで来ていた。先のテンフラ屋は、綱引きが終わっても晩までそこにいて、モーアシビ(毛遊び)に出掛ける青年男女がこのテンプラを買っていた。戦後、大綱引きは戦前のように北谷、玉代勢と2日に分けて引くことはなく、1日だけとなっている。1974(昭和49)年には、北谷は北玉小学校に集合し、県道24号を通って綱引き場のハンビー飛行場跡に向けてメンダカリ、クシンダカリの順番でスネーした。玉代勢は4区公民館(現宇地原区公民館付近)に集合して、そこから綱引き場に向ってスネーした。伝道は、屋号ウフヤ(大屋)に集合し、そこから北玉小学校に向けてスネーして北谷と合流した後、会場に向けてスネーした。1986 (昭和61)年の大綱引きはハンビー飛行場跡で行われ、北谷と玉代勢は直接会場に集{ 合した。そして綱の周囲を取り囲む区画整理中の道路を回ってスネーした。伝道は、1974(昭和49)年同様、ウフヤから綱引き場までスネーして、北谷のクシンダカリと合流した。1998 (平成10)年の大綱引きは安良波公園内で行われ、北谷と玉代勢は公園に集合した。伝道はウフヤに集合の後、そこから旗頭を先頭にボラチリ、ソーグチリ、テークチリ、婦人の踊りの順に並び50m程(吉原937番地、照屋久盛さん宅前まで)ミチジュネーを行った。その後、出場者は乗用車に分乗して安良波公園に向かった。写真2-29 ウフヤからのミチジユネー(伝道〕nHU 伊hd

元のページ  ../index.html#55

このブックを見る