北谷町の綱引き
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三味線弾きは、大綱引きの踊りのスネーに一緒についてまわった。戦前、北谷は踊りの指導者も兼ねて砂辺から頼んできた。三味線弾きは北前や石平辺りからも来た。伝道の場合、北谷と同様、砂辺から三味線弾きと踊りの指導者を頼んできた。砂辺からは屋号ニシノイリー(西ノ伊宇υ、ニシノマツダグヮー(西ノ松田小)、ユナシチャグヮー(与那下小)の方が来ていたそうだ。玉代勢は、大綱引きの2'"'-'3ヵ月前から砂辺から三味線弾きと、指導者を招いて練習した。踊りの種類によって三味線弾きが変わったそうだ。1926(大正15)年の大綱引きまでは、ヤードゥイ(屋取り)部落の屋宜、仲山から三味線弾きを招いた。屋宜は玉代勢でもアガリ側の指導を、仲山はイリ側の指導を行ったという(照屋光久さん談)。(3)チンクの姿勢と打ち方(1998年)北谷三ヵ村でミチジュネーの音頭をとっているのは、ボラチリ、ソーグチリ、テークチリの、いわゆるチンクで、スネーの始まりはボラで合図し、旗頭など行進のリズムはソーグやテークでとる。隊列はポラチリが先頭で次いでソーグチリ、テークチリと続く。ポラチリでも先頭に音の鳴るボラを吹く者がおり、その後ろに音の鳴らないポラを持つ子ども達が並んだ。それぞれの楽器の持ち方は、ボラチリが右手にボラを持ち、左手は腰にあてる。足は左足を一歩前に出して、右手に持つボラをソーグのリズムに合わせて前に突き出しては戻す動作を繰り返す。ソーグチリやテークチリも左足を一歩前に出し、左手にソーグ、もしくはテークを持ち、右手にバチを握る。そして楽器を打ち鳴らし、リズムに合わせて膝を軽く曲げる。チンクのリズムは三ヵ村共、それぞれ若干の違いはあるものの、共通点として一定のリズムを打ち鳴らした後、左手方向に回って後方を向き“サ一、サ一、サ一、サッ"と曜子を入れる。そのとき、ポラチリの中でも音の鳴るボラを持つ者は「ブ一、ブ一、ブ一、プツjと4回吹き、音の出ないボラを持つ者ほ頭上にポラを上げて、ボラを持つ手を左回りに回す。しかし玉代勢の場合、音の出るボラは吹かず、音の出ないポラと共にボラを頭上まで上げて、左回りに回した。ソーグチリとテークチリも顔の高さまで楽器を持ち上げて打ち鳴らす。その中でもテークチリの場合、進行方向に向いているときは、顔の高さまでバチを上げて垂直に振り下ろして叩く。そして後方に向くと、太鼓を持つ手を顔の高さにまで上げて叩くが、北谷の場合は後方に向いて叩く際、パチの使い方が前方を向いているときの打ち方と変わりないものの、玉代勢、伝道はパチを頭の後ろまで回して叩いた。後方を向いたときにもボラチリ、ソーグチリ、テークチリ共に左足が一歩前に出る。“サ一、サ一、サ一、サッ"の嘱子が終わると、左手方向に回って再び進行方向を向き、この一連の動作を繰り返しながら行進する。町,.aq

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