北谷町の綱引き
51/234

ソーグチリは戦前、北谷では16"'17歳の男性2人が使った。伝道、玉代勢では今でいう中学生以上の男子が使った。個数は玉代勢でメンダカリ、クシンダカリ共に3"'4個程であった。ソーグは字所有ではなく、余所から借りてきたようだ。1998(平成10)年の大綱引きでは、北谷がメンダカリ、クシンダカリ各4人の男子が参加した。玉代勢は中学生が5人、伝道は15歳と17歳の男子2人が参加した。伝道では、ソーグを津波三味線庖(目志川市平良川)から購入した。テークチリは、締め太鼓を使った。戦前、伝道では18"'19歳程の青年が使った。1938 (昭和13)年の大綱引きの時にテークチリとして参加した伊礼喜栄さんは、部落の戸数が少ないのでスーガシラ(惣頭)から「人数がいないから出なさい」と言われ参加したと言う。締め太鼓は、字で玉上や桑江辺りからまとめて借りてきたそうだ。玉代勢では、20歳ぐらいの青年が締め太鼓を使った。締め太鼓は、旧暦7月にエイサーもあったことから字で所有し、普段はムラヤー(村屋)に保管されていた。北谷では7クミあったサー(幻ターグミ(砂糖組)毎に締め太鼓がl個ずつあり、それと不足分を野里(現嘉手納町)等から借りてきた。1998(平成10)年の大綱引きでは、北谷がメンダカリ20入、クシンダカリ24人の男性が参加した。また玉代勢では、高校生以上の男性24人が参加、伝道は15歳以上の男性24人が参加した。チヂンは戦前、三ヵ村共通で50"'60歳代の年配の女性が使っていた。1998(平成10)年の大綱引きでは、北谷のメンダカリから15人、クシンダカリから8人参加した。玉代勢は11人。伝道ではおよそ70歳代の女性7人が参加した。ドラガニは、三ヵ村とも数はそう多くはなく、1"'2個程であった。特に北谷ではフェーヌシマ(南ヌ島)も参加するので、戦前はメンダカリ、クシンダカリに分かれてドラガニを使った。1998(平成10)年の大綱引きでは、参加人数の不足もあって、メンダカリとクシンダカリ、どちらにも属せずにミチジュネーを行った。この時、ドラガニは2個使われた。写真2-28 テークとチヂンのパチ作り(伝道)-46-

元のページ  ../index.html#51

このブックを見る