北谷町の綱引き
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③伝道大綱引きの場合、伝道は北谷のクシンダカリに属した。旗頭は1本であった。戦前は屋号ウフヤ(大屋)に保管されていた。伝道にムラヤー(村屋)はなく、ウフヤが集会場的な役割を果たした。そこのアサギに旗頭を保管していた。旗もウフヤに保管されていたが、後に字のヤクミ(役目)の家で保管したのではないかとのことであった。竿頭の飾りは、菖蒲の花を象ったものであったが、何故菖蒲を象ったのかは不明である。一方、掲げる旗は現在のように「龍鳳飛来jだ、ったのかはわからないが、絵ではなく、文字が書かれていたそうだ。旗頭にはバランスを保つために縄が4-----5本、また二叉に分かれた金具を作り、これをカイマタと言った。このカイマタで倒れかかる旗頭にあてて体勢を直した。戦後、1974(昭和49)年の大綱引きには、菖蒲の花を象った旗頭を出した。製作は沖縄市の泡瀬方面で作らせた。旗は「龍鳳飛来」で文字の上に“伝道"と書かれていた。旗の縁は赤色であった。旗を掲げる横竿には吹流しをつけた。旗竿には綜欄縄を6ヵ所程に分けて巻いた。1986(昭和61)年の大綱引きにも菖蒲の花を象った旗頭を出した。菖蒲の花の上には一羽の蝶が飾られていた。この時の製作者は、渡嘉敷唯文さんで北谷の4本の旗頭と合わせて渡嘉敷さんに製作を依頼した。1998 (平成10)年の大綱引きも菖蒲の花であった。旗の文字は「龍鳳飛来」で文字の上に“伝道"と書かれていた。旗は前回1986(昭和61)年に使ったのが紛失したことから新調した。注文先は、宜野湾市我如古にある京屋旗応である。寸法は北谷の旗を参考にした。旗頭の長さは、旗竿が5m、竿頭の飾りが95cm (灯龍部分の高さで、蝶の部分は含んでいない)で、全長およそ6mであった。旗を掲げる横竿は弓矢の型でそれに旗を通す。旗を通す縦竿はなく、縄を使って旗竿に括り付けた。旗竿には3ヵ所、綜欄縄を巻いた。竿底に近い部分に巻いた綜欄縄は、旗頭持ちの滑り止めとして巻かれていた。またカイマタは3本使い、旗竿の中間にも北谷と同様、カイマタ当てとして椋欄縄が巻かれていた。旗頭の竿頭の飾りは、北谷と同様、砂辺にあるDESIGN&PLANコクバヤサンに製作を発注した。大綱引き終了後、旗頭はウフヤに保管された。写真2-21 伝道の旗頭、菖蒲(1998)-39-

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