北谷町の綱引き
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旗に書かれた文字はメンダカリとクシンダカリ共に同じであったが、旗を縁取る色がメンダカリは水色、クシンダカリは赤色、と異なっていた。旗の文字に関しては、崎原恒新「北谷三ヵ村の大綱引J(1978)に、北谷のハタガシラのメ一、クシとも一番頭は昔から「祈豊年Jであったが二番頭の文字がついに思出せず、いろいろな文案から今回は「清風jに決めたという。とある。上記の文章だと旗の文字は「祈豊年Jとあるが、実際には「招豊年Jの旗が掲げられていた。いずれにせよ“豊年"の語を基本としていることがわかる。また旗を掲げる横竿の両先端には、槍と金の玉が付けられていた。そして横竿の先には吹流しが取り付けられていた。旗竿には竹を用い、その作りは竿下を旗頭持ちに支障をきたさない程度間隔を取り、その上部は椋欄縄を巻いてあった。その他にも、旗頭のバランスを保つ縄が3本ついていた。1986 (昭和61)年の大綱引きには、北谷から4本の旗頭が出た。前回の大綱引き同様メンダカリ、クシンダカリ各2本である。竿頭の飾りも前回と形が異なった。メンダカリは、太鼓を象り中心に左巴紋の模様を入れた形(旗の文字は「招豊年J)と、広げた扇子の中心に“祝、大綱"と書かれた形(旗の文字は「清風J)になった。一方、クシンダカリは梅の花を象った形(旗の文字は「招豊年J)と、星型の中心に“祝"と書かれた形(旗の文字は「清風J)になった。これらに明かりを灯すような工夫はされていない。竿頭の飾りは、渡嘉敷唯文さんがデザインを考案、製作した。渡嘉敷さんによると、太鼓型と扇子の飾りは、戦前、住んでいた東風平村(現町)字東風平で見学した、旧暦8月15日に行われる綱引きの旗頭のデザインを参考にしたという。教員であった父親の赴任先が東風平村内にあったこともあり、その際に見学した綱引きに出た旗頭の形を渡嘉敷さんは覚えていたことから、それを基に作ったという。東風平では太鼓型が束、扇子が西であったそうだ。また梅と星型の飾りは、戦前、那覇(具体的な場所までは不明)で見たものを参考にしたという。旗に関しては、文字がメンダカリ、クシンダカリとも「招豊年J、「清風」と前回と変わりはないものの、旗の縁取りがメンダカリは紺色に、クシンダカリは黄色に、と前回と比較すると変化が見られた。また旗にを書き入れてなかつた。旗を掲げる横竿も先の尖った矢と三叉に分かれた矢になった。その横竿の先には吹流しが取り付けられている。旗竿は竹であるが、竿に椋欄縄を3ヵ所程度に分けて巻かれていた。その中でも旗竿の中央に巻く椋相縄は、少々盛り上がるように巻いており、これはカイマタを当てる部分として使われた。旗頭のバランスを保つ縄の数は3本であった。1998 (平成10)年の大綱引きは、北谷の旗頭はメンダカリ、クシンダカリ各2本であった。竿頭の飾りは、北谷町砂辺にあるDESIGN&PLANコクパヤサンに、1986 (昭和61)年の大綱引きで使った飾りを基に製作を発注した。86年の飾りは重くて、-22-

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