北谷町の綱引き
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旗頭、カニチ、衣装・チヂン・舞踊、の4専門部会が置かれた(総勢49人、そのうち16人が女性)。さらに各郷友会ごとに字実行委員会が組織された(本文117頁の「北谷三ヵ村大綱引き実行委員会組織図Jを参照)。郷友会の実行委員会の専門部会の役員は三ヵ村大綱引き実行委員会委員を兼ねることができた。1998年度の大綱に用いるワラは金武町字屋嘉から購入した。15トンであった。網打ちには正味15日を要した。綱のカニチの作り方は宜野湾市大山の方の指導を受けたけれども、カニチの形態は大山と異なり、飾りはない。高江洲敦子の補足調査によれば、1926(大正15年)の三ヵ村大綱引きの綱は雌雄とも各3本から成るfかんぬき複数型Jの綱であったという。それ以後の綱は1998年まで雌雄各1本の綱であった。本文23頁のI旗頭変遷表jで明らかなように、北谷の旗頭の構造・旗字は1974年度・1986年度・1998年度ごとに若干異なる。玉代勢と伝道の旗頭は1974年以来基本的に同じであった。1998年度の練習用の旗頭には古タイヤがくくりつけられていた(本文42頁)。今様の変化である。ミチジュネーの演目については、1926年、1938年、1974年、1986年、1998年度別に、字ごとに、一覧表にまとめられている(本文69--70頁)。今回のミチジユネーの演目の練習が開始されたのは6月中旬であった。正日のミチジュネーには、旗頭を先頭に、ポラチリ(北谷・玉代勢は小学生男女、伝道は7"'17歳の男女)、ソーグチリ(中学生を含む男子青年)、テークチリ(15歳以上の青年)、チヂン(50--70歳代の女性)、舞踊(女性)、フェーヌシマが続いた。稲摺り節他13演目の踊り手は30歳以上60歳未満の女性であった。ミチジュネーの演目中のミルクについて、玉代勢の伝承がはっきりしない。フェーヌシマ系の芸能は沖縄全域で27ヵ所に分布しているという。北谷町では北谷にのみ伝わる。大綱引きにはメンダカリとクシンダカリの2組でるのがしきたりであったが、今回は15歳--43歳の男性24人からなる1組だけ出場した。フェーヌシマ棒も従来の106c皿から126cmに変えた(フェーヌシマの演目については本文52--67頁を参照)。演目の衣装には時代の変化がつきものである。旗頭をもっ男衆の衣装が1998年度から那覇大綱挽にならってムムヌチハンターになったこと、黒島口説にパサージン(芭蕉衣)を用いなかったことが印象的である。ミチジュネーのこれらの衣装については各郷友会で用意したという(本文71--98頁)。網を引く前のガーラシでシタクが登場する。シタクに選ばれた若者23人について、1914年以来の綱引きごとに氏名・生年・年齢がまとめられている(本文101"'102頁)。シタクをめぐる伝承には偏りがあり、シタクをチヌブに乗せたことについて伝承者間で異論がある(本文105頁)。また、1998年度から廃止された按司の覆面姿について、1974年度・1986年度いずれの写真にも覆面姿が写っているのに、覆面に関する伝承が得られなかったという(本文107頁)。大綱引きでは、シタクは綱を引く前に双方カニチ口で対時し、一度退いてから、再度対時する。シタクの出し方には大別して首里型と那覇型がある。首里型は綱の上にシタクを乗せる形式で、那覇型は桟敷にかついでくる形式である。1998年度の大綱-195-

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