北谷町の綱引き
186/234

解説平敷令治一、沖縄の綱引き概説つるわが国の綱引き習俗は、青柳真智子(1964)、小野重朗(1972)、坂田友宏(1986)、轟理恵子(1986)の業績によれば、北は青森から南は沖縄まで34都道府県に分布している。山陰(とくに鳥取)と九州が濃密地域(なかでも鹿児島と沖縄)である。日本本土の綱引習俗を見ると、綱引きを行う期日には20種の異なる期日がある。小正月・五月節句・旧盆-八月十五夜に引くところが多い。綱引きの目的は、豊作、健康、駆議、雨乞い等である。わが国で最も綱引きの盛んな地域は沖縄である。沖縄の綱引きがいつごろはじまったのかはわからないが、史料上の初見は1713年に編纂された『琉球国由来記』巻四(事始)の綱引きの項である。1719年に加封副使として来琉した謀長3旬、『中山伝信録』巻第六f風俗jの六月の項に、「此月有月之夜、士民皆長論争勝Jと記している。18世鮒刀めの王府の記録だけでなく、加封使の記録にも見えているので、17世紀に綱引きが盛んに行われていたことは間違いない。「北谷三ヵ村大綱引き実行委員会会則Jでは第2条(目的)でr3 0 0年余の歴史を持つ北谷三ヵ村大綱引きJと記している。綱引き伝承は中頭・那覇・島尻に豊富である。今でも毎年行うところは島尻地方が圧倒的に多い。1989年現在、年中行事として綱引きを行うところは170ヵ所であった(平敷、1990)。綱引きを行う年中の折り目によって、正月綱、6月ウマチー綱、6月カシチー綱、7月網、8月カシチー綱、8月15夜綱、に大別される。もとは農耕儀礼であったが、今では地域共同体の繁栄を祈願する行事として意味づけられている。5年・7年・13年マール(周り)ごとの定日に行うマールジナ(鯛)もある。かつては不定期危機儀礼としての雨乞い網も行われた。綱引きは雌雄の綱からなり、それぞれ綱頭のカニチ(かんぬき)を棒で連結するのが一般的で、なかには雌雄の綱が各2本以上もあり、複数のカニチ棒で連結して引く「かんぬき複数型Jの綱引きもある。綱引きのスネー(備え)の先頭に旗頭を出すのは沖縄の綱引きの特色であろう。スネーの出し物は楽器、舞踊、獅子舞、ミルクなど多様である。スネーイ前後におこなうガーエー(威勢の誇示)も綱引きにはっきものである。綱引きの後で、網を処理する特定の儀礼(網をトグロ巻にして放置したり、川や海に流したり、綱の一部・小網・人形・蛇型を焼くなど)を行うところが多い。沖縄の綱引きの特色として、綱を引く期日が多様であること、年に2回以上の綱引き定-193-

元のページ  ../index.html#186

このブックを見る