北谷町の綱引き
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サトウキピの絵は描かれていない.現在の年中行事では、|日暦8月15日に立てる.普段は根所に保管されている.(2) 野里の旗頭は、“コーラキ"と言い、組踊で按司が被る兜のような形をしていた。コーラキの語意は不明である.旗には「飛龍Jの文字と、龍の絵が描かれていたという。戦前は、屋号ウフヤモーシーにアシビで使う衣装や小道具等と一緒に保管されていた。(3) r.嘉手納町史.!I(1990: 37)によると、ヌグンパシの下の方は、字内を流れる川と野田川との合流地点にマルグムヤーがあり、子ども達の遊泳場でもあったという.参考文献北谷町史編集委員会編、『北谷町史第三巻資料編2民俗上』、北谷町役場、1992.『北谷町史第五巻資料編4北谷の戦争体験記録下』、北谷町役場、1992.『北谷町史第三巻資料編2民俗下』、北谷町役場、1994.嘉手納町史編纂委員会編、『嘉手納町史資料編2民俗資料』、嘉手納町役場、1990.辻合喜代太郎、『琉球芭蕉布』、はくおう社、1973.辻合喜代太郎・橋本千柴子、『琉球服装の研究』、関西衣生活研究会、1991.平敷令治・恵原義盛、『沖縄・奄美の衣と食.!I1974. 平敷令治、『沖縄の綱引きー備え・怒り・祈りJr沖縄の祭把と信仰』、第一書房、1990.-189ー

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