北谷町の綱引き
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⑧祭杷儀礼戦前の野里では綱引き当日(6月24日)の午後2時ころから、字の区長や6人のヤクミ(ムクミ)らがイシンミクルク(石嶺久得)に赴き、ワラジカ(ワラ束)を供えて、五穀豊穣やムラ人の健康を願った。各家庭では、カシチーウユミと称して、マージンメー(黍を入れて炊いたご飯)や、豆腐ンブサーを神仏に供えて、家族の健康、農作物の稔りを願った。綱引きは、男たちの拝みが終了する午後の4時ころから行われた。現在は、共進会会長や事務局長をはじめ、字の有志らが参加してノロ殿内の神棚と、火ヌ神(殿内の外)、嘉手納小学校裏手にある拝所合組所での祈願の後、形ばかりの綱引きがおこなわれる。ノロ殿内での拝みは、ノロ神と称する男性(当山正善さん)を中心に、二つに区切られた神棚を左側から順次拝む。神棚にはノロ殿内からのウチャワキ(お茶うけ)と、共進会からの餅や肴を詰めた重箱一対が供えられた。殿内内の神棚を拝み終えると、参加者全員が殿内の庭にまつられる火ヌ神へ移動し、同様の供物を供えて祈願を行い、その後で白紙を焼いた。次いで一行は、戦前の野里集落内に点在したムラの拝所を合記する嘉手納小学校裏手へと移動して祈願を行った。合記所には、ビジュル(遊び神)、東ウタキ、御巌、西御獄、カミサギモ一、ユウシ之御緑、地頭火ヌ神、御癒ガ一、元ウブガ一、ウブガ一、村ガ一、ヌールガ一、マミクガ一、シリーガ一、前之カ一、後之カ一、天願ガ一、獅子などがまつられているが、綱引きに関する拝みでは、まず地頭火ヌ神を拝み、次いでビジュルを拝む。その後で、合間所の出入口付近外側からイシンミクルクへの遥拝を行い、祈願を終了した。イシンミクルクへの遥拝の際には、ワラ束が供まられた。綱引きは、2回行われるが、常に雌網の方が勝つようになっている。雌網が勝つとユガフーになると言われている。野里では6月24日を定日とする綱引きのほか、皐魅の時にも網をつくって雨乞い綱を引いた、という。註(1) 大抵の話者が綱引きに旗頭を使わなかったとの証言であったが、照屋助吉さんによると、メンダカり、イリンダカリとも“テークルー"と呼ばれるものがあったという。これはハタスガシーとムラアシビに使う旗頭とは別に製作した.骨組みは竹を使って円形に作り、その周囲に紙を貼りつけ、f東』、「西jと文字が書かれていた。中にはロウソクを入れていた。竹竿に掲げる旗には、絵ではなくて、文字が書かれていたが何と書いていたのかはわからない.吹流しはついていなかった。また竿のバランスを保つために縄が3本ついていた。旗竿の長さは3m程で根所に保管されている旗頭よりも短かった.このテークルーは、メンダカリ、イリンダカリそれぞれがナカミチ(中道)まで運び、綱の近くに立て、綱引きが終わると、その場で燃やしたという。現在、砂辺の旗頭は、竿頭の飾りに円形で八卦が記されており、旗にはI創農jと書かれている。-188-

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