北谷町の綱引き
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チャー(松明持ち)と一緒に綱の周りを見回った。野里の綱引きは、他字の者に引かせなかった。そのため他字の者が引いていないかどうか見回った。余所からの見物人は、木の・上などから見物していたという。ホ.ガーエ一二度にわたる綱引きが終わると、勝利した側は一番カニチ(雌雄の綱を繋ぐ中央のカニチ)をはずして、メージナをみんなで担いだ。その際には「ワワワワワワ、サ一、フイ、フイ、フイ…Jと掛け声を出し、ドラや太鼓を叩いた。綱の上にはシタクとして、踊りの上手な者と空手のできる者が乗って踊ったり、空手の型を披露したりした。次にテービーでもって相手と叩き合うムンドー(ガーエー)となった。このガーエーには、青年男性をはじめ、年配者も参加した。時には女性同士のムンドーもあったようである。青年男性によるガーエーは、テーピーで叩きながら押し合うもので、中にはテービーを持って向かつてくる者からテーピーを奪い取って逆に打ち返す者もいた。テービーの熱で周囲の木の葉が無くなったという。ガーエーが終わる頃には、身体が真っ黒になっていたので、参加した男たちは揃って、集落の西側にあるマルグムヤーに水浴びに行った。水浴びをしている時は、互いに冗談を言い合い労った。⑤衣装丈の短い普段着か、あるいは作業着のようなものを着け、頭にはサージを巻いたり、濡れたタオルで頬被りをしたりしていた。着物の柄は、地味なクンジーに縦縞が主であった。女性は、パサージンやクロスディチラーが多かった。当時は、ガーエーからリンチオーイに発展していき、この日とばかりに相手の着物の裾にテーピーで火をつけられることもあったので、一番着古したヤナチンを着て、網を引いたという。⑥綱の引き方イ.綱寄せとかんぬきの合わせ方野里では、「ユシレー(掛け声)、ポンポン(鳴り物)J、『ハーイヤ(掛け声)、ポシポン(鳴り物)Jの磯子にあわせて綱寄せをした。二番綱以降は、あらかじめカニチをついでナカミチに用意されていたので、雌雄とも一番綱だけを担いで綱引き場のナカミチまでスネーしてきた。一番綱の上にはシタクが乗っており、空手や踊りを披露し、-..e..綱をおろしてイナグモーイ(女踊り)などもあった。雌雄のカニチを合わせる際には、雄網を立てておき、雌綱をかぶせるようにして連結させ(図3-1参照)、カニチ棒を貫いた。その勢いで綱引きが始まる。ところが、雄綱側(シリー)はすぐには綱を引かさないようにカニチ棒を立てようとし、逆に雌綱側(メー)はカニチ棒を倒して綱を引こうとするため、なかなか綱引きが始まらず、時には勢い余って-186-

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