北谷町の綱引き
180/234

が用いられ直径約20cm、長さ7尺(210cm)程であった。このカニチ棒は毎年新調するのではなく、池(クムイ)に沈めて保管した。他のカニチ棒に関する材質や、寸法などについては聴取することが出来なかった。戦後の綱引きは、合組所で儀礼的に引く網のため、カニチ棒は1本である。現在のカニチ棒の長さは70cm、太さが13cmである。④備え・示威行為イ.旗頭旗頭(ハタガシラ)は、シリー(ニシ・雄綱)とメー(フェー・雌綱)に各1本ずつあったようだが、ハタガシラと言うより、“テークドウールー"と呼んでいた。乙のテークドウールーは、丸く太鼓の形をしており、その下に水平に葉のようなものがついていた。骨組は竹で作り、その上に紙を貼りつけた。中にロウソクを入れて、灯りを灯すようなことはなかった。また、旗やバランスを保つための縄はついていなかった。トウールーは丸いといっても、メーとシリーとで若干の違いがあり、メーがシリーよりも大きな形をして(2) いたという。野里の場合、旗頭は旧暦7月17日のハタスガシに使ったが、綱引きには使わなかった。ロ.楽器綱引きに使った楽器類は、ショウグや太鼓、ドラ、ボラがあった。これらはみな字所有だった。楽器の類は、屋号ウフヤモーシーに保管されていた。そこには、綱引きで使う楽器の他にも旗頭や、ムラアシビで使う衣装や小道具等も保管されていた。綱引きになると、シリ一、メ一双方が鳴りのよい楽器を取り合った。特にドラはよく競った。そのため綱引き当日には、朝早くから取りに行った。ドラはシリ一、メーとも1個ずつで、ショウグは各2個程であった。ハ.テービーテービーは、サトウキビの搾り殻(ウージンガラー)で作った。その数はシリ一、メーーで400本程であった。このテービーを使う者は、頭からタオルを被っていた。テービーを使う場面は、主に相手側の見回りと、ガーエー(後述)のときであった。ニ.ミチジュネ一野里では綱引き場であるナカミチ(中道)に、二番網以下の網が用意され、カニチ棒が繋げられたままの状態で置いてあった。そして、メーは屋号前伊礼(メーイリー)近くの十字路に、シリーは屋号大伊礼小(ウフイリーグヮー)近くの十字路に集合し、シリーから先にテークドウールーを先頭にメージナ(一番綱)を担いでスネーを開始した。その後にメーが続いた。シリーはカニチグチの前にあたる屋号古波蔵屋敷(クファングヮヤシチと言い、空屋敷だった)近くまで来ると、折り返してメーと向かい合った。綱引きが始まると、テークムッチャー(太鼓持ち)が太鼓を打ちながら、テービームッ-185-

元のページ  ../index.html#180

このブックを見る