北谷町の綱引き
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④衣装バサーヌタテシマ(芭蕉布)やスディチラーを着ていたa男性は自のYシャツに自のズボンをはいていた。⑤網の引き方イ.網寄せとかんぬきの合わせ方アガリ、イリともそれぞれの網打ち場から、「サーサーサーサーJとかけ声を掛けながら綱を肩の上まで持ち上げて、綱引き場のナカミチまで連ねてきた。カニチの合わせ方について聞き取り調査では、ナカミチに雌雄のカニチの部分を平行にして並べておき、その状態から雌綱を後ろに反らせ、雄網にかぶせるようにして連結させた(照屋光久さん談)という話や、カニチグチまで綱を寄せてくると、雌綱の輸を上に向けた状態で後ろに反らせて、雄綱を立ててそのまま差し込むようにして連結させたという話もあった。カニチ棒を貫く人は、決まってはいないが、子どものなかでも力のある者が出て来て買いた。大人は側から教えるだけで手助けはしなかったが、スムーズに出来た。カニチグチは監視がいないと危険なので、カニチ棒を貫いた後は大人が確認してから引き始めた。玉代勢の綱引きは、周辺の屋取集落や他ムラからは参加させなかったという。シタクは出なかった。ロ.綱引きの時刻と引く回数朝から家々をまわってワラを集め、綱作りをする。網作りの方法は大人が教えるが、作るのはすべて子どもたちが行った。綱引きは、夕食をすませた午後7時頃から行われ、家族みんな集まって子どもたちの応援をした。綱は2回引くが、2回とも真剣に勝負する。1回目終了後、カニチ棒をはずしたり、合わせ直したりはしなかった。⑥双分組織毎年の綱引きはムラの中央を走るナカミチで、イーンダカリ(上村渠)とシチャンダカリ(下村渠)に分かれて引いた。イーンダカリはアガリ組の雄綱、シチャンダカリはイリ組の雌綱であった。毎年の綱は、子供を中心とするワラビジナで、小学生から17、8才ぐらいまでの男女が参加した。しかし17、8才でも結婚している人は引かなかったという。他に、綱引きには年齢の制限はなかった、という話も聞けた。網を引くときは、網のしっぽを木にくくりつけるまでして勝負に挑んだという。家族も応援に駆けつけた。綱を寄せる時や、引く時には「ユイサ一、ユイサーJ、fユサユサjと掛け声をかけた。カニチ棒を貫いた途端、『ヤーJと叫び、綱を引きはじめることもあったが、ケガをしないように、世話役の合図を待って引くことが多かった。世話役にはムラの役目の人がなったのではなく、綱引きが好きな人や、それに適した人が世話をした。綱引きの準備をしているうちに、世話役を引き受ける人が必ず出たという。子ども中心の綱引きではあるが、-178ー

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