北谷町の綱引き
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(7)玉代勢①期日昭和16年頃まで行われていた毎年の綱引きをワラビジナといい、旧暦の6月25日のカシチーウユミ(折目)の日におこなった。綱引きは子どもたちと17、8歳の青年を中心に行われた。綱引きについて、ある古老は、綱引きを取りやめたある年に良くない出来事が起こったことから、毎年網を引くようになったといい、玉代勢では「カリーJをつけるという意味で綱を引いたのではないか、という。②網の材料と網の形態イ.綱戦前の綱は雌雄それぞれ1本ずつで、材料は稲ワラであった。稲ワラは集落内でまかなえた。ワラは、子どもたちがドラガニを叩きながら集落内の家々を回って集め、大人の指導の下、子どもたちが網を作った。アガリ(イーンダカリ)はムラヤー(村屋)で網作りを行い、イリ(シチャンダカリ)はヒージャーイーと呼ばれる場所で綱を作った。綱の長さは14'"15m程であったようだが、太さについては不明である。ただ、カリーであるということで綱を引いたことや、毎年綱を作り替えたという話からさほど大きくなかったのではないかと推測される。ロ.カニチ棒カニチ棒はl本で、石持ち棒と同じという証言から長さ5尺(150cm)ほどで、太さは直径9cmほどであったと思われる。材質はリュウキュウマツで、毎年作りかえた。③備え・示威行為イ.旗頭玉代勢の例年の綱引きに旗頭は使われなかった。寅年に行う大綱引きに旗頭を2本用いた(第二章2・備え・示威行為を参照)。ロ.楽器とテーピー楽器類はドラガニだけで、アガリとイリ、双方に1個ずつあった。テーピーはワラで作った。叩いても痛くないように所々を結んだ。そうすると簡単には燃えつきなかった。テーピーの本数に制限はなかったが、そう多くもなかった。尋常小学校高等科程度の子どもたちを中心に17"'18援の青年たちが使った。そして、綱引きが終わると、網をその場に置き、ガーエーが行われたが、その際には、テービーを使って相手を町いたりもしたといつ。-177-

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