北谷町の綱引き
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ーカタの型を示した後に必ず行われるわけではなかった。例えば相手側から自分より年齢の離れた年配者が出てきた場合等には、お互いにメーカタの型を披露するだけで、そのまま退場することもあった。メーカタの周囲を円になって取り囲んで見物し、誰も双方の加勢には加わらなかった。このメーカタで勝つことは名誉なことであった。メーカタは、綱引きだけに行われるのではなく、モーアシビ(毛遊び)にも行われた。乙の時は歌や三味線のリズムに合わせてメーカタをし、そのままトーセークルパセーが始まった。④衣装ムラ人の多くがヤーカラチヤー(普段着)のまま網を引いた。しかし、女性のなかには黒地にユチグー(小さな水玉模様に似た柄)の入ったおしゃれ着を着ている人もいた。お年寄り(男性)の場合は、バサー(芭蕉布)のボウジマー(2本綾)やスディチラーが主であった。⑤綱の引き方イ.綱寄せとかんぬきの合わせ方綱引きの前日には、綱の保管場所からンマイーに網を出して来て修繕など奇行った。修繕を終えた雌雄の綱は、綱寄せのためにカニチグチに間隔をあけて置かれた.当日は、「ユシレ一、ヒーヤーJの掛け声にあわせ雌雄の網をカニチグチまで寄せていくと、雄網のカニチ部分を立て、雌綱のカニチ部分をかぶせるようにして連結させた(図3-1}0カニチ棒は双方から力のある者が5人ぐらい出てきて10人程で貫いた。綱引きの合図は区長、あるいはスーガシラの役目と決まっていた。北谷の綱引きは「イーカタシデーjといって、男女、他ムラ関係なく誰でも参加できた。毎年の綱引きにはシタクは出なかった。ロ.綱引きの時刻と引く回数綱引きは夜の10時'"12時頃おこなわれた。綱を引く回数は1回と2回という意見があったが1回勝負だったという意見が多かった。クシンダカリ(雄綱)が勝つとユガフーといわれたという。綱はカニチグチから少しでも動けばそ乙で勝敗が決まった。⑥双分組織と綱引きの運営綱引きは、集落内のスージ道によってメンダカリとクシンダカリに分けて行われた。このスージには特に名称はない.メンダカリはイリ(西)で雌綱、クシンダカリはアガリ(東)で雄綱であった。綱を新しくする場合には、クシンダカリが学校敷地(北玉小学校)を利用し、メンダカリは組合敷地を利用して綱を打った。字北谷には、ムラのヤクミ(役目)として区長が1人、スーガシラがメンダカリとクシンダカリに1人ずつ。さらにニーセーガシラがメンダカリとクシンダカリに2人ずついた。区長は、字の行政に関する責任者(r北谷町史』第三巻:59)で、スーガシラは綱引き-169-

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