北谷町の綱引き
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(5)北谷①期日字北谷では、旧暦6月25日のカシチーウユミの日に綱引きを行った。字単位で行う綱引きをはじめ、年中行事の期日について字北谷の仲村渠敏子さんから興味深い話が聞けた。仲村渠さんによると、かつての北谷トンネルを境に、北側の字では、南側の字よりも行事の期日が一日早くなるという。たとえば、南側の字北谷や、伝道・玉代勢の三ヵ字では旧暦6月25日のカシチーウユミに綱引きが行われたが、北側の桑江や、平安山・野里では、旧暦6月24日にカシチ一行事を行い、綱引きもその日に行ったという。また、ムーチ一行事も北側の字では一日早く行われていたのを記憶しているという。敏子さんの母親は宇野里から字北谷に嫁いできたので、敏子さんは、一日早い野里での行事と、翌日の字北谷での行事と、二度も行事に参加することができたうえ、御馳走も二度食べることができたので、子ども心にも非常にうれしく印象深く残っているという。②綱の材料と綱の形態イ.網綱は雌雄、いずれも1本ずつであった。材料は稲ワラであった。材料の稲ワラは集落内でまかなえた。雄綱の長さは40"'50m程、直径は30cm程で、ティーンナ(手綱)が付いていた。雌綱の長さや太さについては確認できなかったが、雄綱とほぼ同じであったと推測される。また、1本のティーンナの長さは3尺(90cm)ほどで、太さは3寸(9cm)ほどであったというが、本数については不明である。網の材料となる稲ワラは、米の作付け面積の多寡に応じて各家毎に提供する量が決められていた。たとえば、作付け面積が少ない家からは3タパイ(1タバイは指を3本合わせた太さ)、多い家からは10タパイというように割り当てられていた。網打ちは、メンダカリが組合の敷地内で行われた(Ii'北谷町史第三巻』には、ムラヤーの大きなガジマルの下で行われたとあるが、確認できない)。クシンダカリは北玉小学校の敷地内で綱を打った。北玉小学校では、直径2寸5分(7.5cm)ほどの綱を3本打ち、その網をンマイー(馬場)に運んで、そこで3本の網をひとつに束ねて本綱に仕上げた。その際には直径3寸ほどの縄を用いて、2尺"'3尺ほどの間隔で3本の綱をひとつに束ねた。そして、その縄を延ばしてティーンナにした。また、カニチグチから約4"'5尺(120cm'" 150cm)ほど後方までは、細い縄を利用してきれいに巻いた。綱は保管して次の年に使う。綱の保管は、メンダカリが屋号キチンミ(吉味家)で、クシンダカリが屋号イリペーチングヮーであった。イリベーチングヮーでは、アサギの天井に保管したようであるが、キチンミでの保管場所については確認できなかった。なお、次の年に綱を新調する予定がある場合には、入札を行い、引き終えた綱を売却した。また、-167ー

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