北谷町の綱引き
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後はクシンダカリの雄綱に加わり、桑江ヌ中はメンダカリの雌網に加わった。綱引きには、ニーセーガシラと呼ばれる行事責任者がいた。ニーセーガシラはメンダカリ、クシンダカリ双方の25、6歳--40歳までの男性の中から1人ずつ選ばれ、網打ちゃ綱引きの合図など行事の全日程に関する責任者であった。と乙ろで戦前はムラの中で結婚が行われることが多かったので、ほとんど親戚同士で綱を引いた、という。メンダカリの女性がクシンダカリへ嫁いだ場合、嫁ぎ先の綱を引いた。しかし、他の字に嫁いだ女性は、実家側の網を引いた。また、結婚後は網を引いた覚えがないという方もいた。⑦祭把儀礼桑江や平安山では6月24日をカシチーウユミと定め、各家庭では白カシチー(新米で炊いた御強)をつくって神仏に供えた。桑江では昭和18年ころまで、カシチーウユミの日に綱を引いた。綱引きやカシチーに関連するムラからの拝みなどはなかったという。他の字より一日早くカシチーを供えることについて桑江では、白カシチーを6月25日にっくり、神仏に供えたら直ぐに腐れてしまったため、それからは一日早くカシチーを供えるようになったと伝えられている。綱引きは1回で勝敗を決め、メンダカリが勝てばユガフーといわれた。数本のカニチ棒で連結した綱を引いていた大正の中頃までは、子どもたちがあらかじめ作った「大jの字に似たワラ製の人形を竿の先につけ、カナチグチまでスネーイし、それをカニチグチで焼いた。カニチ焼きを担当したのも子ども達であった(平敷、1990: 22-23)。雌雄各1本の綱を引くようになってからは、網作りで残ったワラを集めて、それを焼くようになった。-164-

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