北谷町の綱引き
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互いにぶつかりあう“シーチェー"を行った。仲村渠吉三さんが、かつて先輩から教えていただいた相手にぶつかる方法は、左手を曲げて自分の胸を守り、左の肩から二の腕で相手にぶつかる。そして右手で相手を叩くという。メーカタやシーチェーには、字内の男性が参加し、他字の者は参加しなかった。テービーを使って綱引き場を明るくしていたが、時にはテーピーでもって相手を叩くこともあった。綱引きを終えると、ンマイー(馬場)に場所を移し、他字の人も参加してシマ(角力)が行われた。④衣装男女とも普段着のスディチラーやパサーチン(芭蕉衣)を着て、頭からは手ぬぐいなどで頬被りをしていたが、女性のなかには、タティアヤーやアカズミという柄の着物を着ている人もいた。しかし、ユカッチュ(旧士族)ではないので、大きな柄ではなかった。昭和にはいると洋服姿も多くなり、着物姿と半々であった。子どもたちは学生スガイ(自のシャツにズボン)をしていた。⑤綱の引き方イ.網寄せとかんぬきの合わせ方午前10時頃から役員や青年らが準備に取りかかり、それぞれの綱の保管場所(1.綱の材料と網の形態参照)から綱を出して来て、綱引き場のナカミチに用意した。綱引きの時刻になるとナカミチには人が集まり始め、メーカタがあり、ガーエーへと続き、綱引きが始まった。綱を引く前には、雌雄の綱を連結するための網寄せがあった。綱寄せは、カニチ部分の輸を横に向けた態勢で立てた雄網と(写真2ー130参照)、カニチの輸を上に向けた態勢で後ろに反らせた雌綱を〈写真2-131参照)向かい合わせてから、「ハルイヤ、ハルイヤJの掛け声で綱を寄せていった。カニチの合わせ方について聞き取り調査では、雌網をかぶせるように連結したという意見や、雄綱を貫いて連結したという意見があったが、どちらも記憶が暖昧であるとのことであった。カニチ棒を貫くのは、40歳代の力に自信のある男性がメンダカリから1人、クシンダカリから1人出てきて、カニチ棒をわきに抱えて貫いたという。シタクは出なかった。ロ.綱引きの時刻と引く回数メンダカリとクシンダカリに分かれて引いた桑江の綱引きは、夕食をすませた午後の8時頃から引く、ユルジナ(夜綱)であった。綱引きは1回で勝敗を決めた。下り側に位置し、応援も多いメンダカリがよく勝っていた、という。⑥双分組織と綱引きの運営綱引きは、集落の中央を走る道を境に北側をクシンダカリ、南側をメンダカリに二分して行った。屋取集落の、桑江ヌ中・桑江ヌ後などの人々も参加することができた。桑江ヌ-163-

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