北谷町の綱引き
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③備え・示威行為イ.旗頭と楽器桑江の綱引きに旗頭は用いなかった。屋号与那城(ユナグシク)には、旧暦8月15日の村芝居で使った衣装や小道具等の他に旗頭も保管されていたようだが、綱引きにそれを使うことはなかった。綱引きで使う楽器類には、ドラガニとボラがあった。メンダカリとクシンダカリの双方でドラガニとボラを綱引き場であるナカミチ(中道)で使った。ショウグや太鼓はなかった。1937(昭和12)、38年頃には、ドラガニだけが使われていたようである。このドラガニは、メンダカリとクシンダカリとでは形が異なっていた。メンダカリのドラガニは、“イシガニー"と言っていた。イシガニーとは硬いカネのことである。クシンダカリのは、メンダカリより直径の幅が大きかったが厚み自体はそうなかった。そして、網を引く時には、年配の男性が使った。これらの楽器は、旗頭と同様に屋号与那城に保管されていた。ロ.テーピー綱引きに使われたテービーには、ウージンガラー(サトウキビの搾り殻)やトゥブシ、ワラ、カヤ、ヤンパルダキのいずれかを束ねて使った。1937(昭和12)、38年頃はウージンガラーが使われていた。綱引き当日になると、ニーセーガシラの指示で尋常小学校5年,...,6年生の男子がドラガニを打ち鳴らしながら字内をまわり、テービーに用いるサトウキビの搾り殻を各家から2本ずつ集めた。集められたウージンガラーは、10本程束ねてテーピーとして使った。綱引きの時にテービーを使う人は、タオルで頬被りをしていた。ハ.ガーエー綱を引く前にはナカミチ(中道)で10分,...,20分程、メンダカリ、クシンダカリの青年男性が互いに押し合ったり、棒を使ったりするガーエーを行った。その時、テービーも使われた。.興奮してテービーでもって相手の頭や背中を町いたりすることもあったが、翌日には相手に労いの言葉をかけた。ガーエーで使う棒には、三尺棒と六尺棒があった。桑江には廃藩置県の墳に鹿児島県から移住してきた“ナカダのボンサン"と呼ばれていた方がおり、この方が三尺棒を使っていたようである。婦人たちがチヂンを打ったりすることはなかった。そして、綱引きが終わるとシマ(角力)をとった。1937 (昭和12)、38年頃の綱引きには、綱を引く前に、ドラガニの合図で“メーカタ..(舞方)が行われた.メンダカリ、クシンダカリのいずれかの青年が1人出てきて、相手を威嚇するようにメーカタをみせた。メーカタには、特に決まった型はなく、個々人によって上手下手があった。これに対して相手が出てくると、レスリングのように相手を倒す“トーセー"となった。綱引きのメーカタの時にはドラガニで音頭をとるが、モーアシビ(毛遊び)の時には、三味線に合わせて行った。メーカタで対戦相手が出てこなくなると、次にメンダカリ、クシンダカリの青年たちが-162ー

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