北谷町の綱引き
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(4)桑江①期日旧暦6月24日のカシチーの日に、カシチージナ(綱)として毎年網を引いた。桑江の例年の綱引きは、1943(昭和18)年頃まで行われていたようであるが、戦後は途絶えてしまった。桑江では、ヤードゥイ(屋取集落)の桑江ヌ前・桑江ヌ中・桑江ヌ後の人々も参加して綱を引いた。桑江では、6月カシチーを定日とする例年の綱引きのほか、保守・革新の選挙絡みの「字綱Jという綱引きがンマイーで行われた、という(仲村渠吉三さん談)。この字綱には、桑江本字のメンダカリに屋取集落の桑江ヌ前が加わり、クシンダリには桑江ヌ中・桑江ヌ後が加わった。この字綱が何時頃行われたのかは不明である。②綱の材料と綱の形態イ.綱昭和18年頃の綱引きは、稲ワラで作った雌雄1本の綱を引いていた。材料となる稲ワラは集落内で十分まかなえた、という。綱引き後の綱は、メンダカリが屋号アガリスルペーチングヮー(大城家)のアサギに保管し、クシンダカリは屋号ナカミチザチングヮー(座喜味家)に保管した。ただし、クシンダカリの網については、屋号イリー(伊礼家)に保管したとの証言もあった。新たに網を打つ場合には、メンダカリがムラの神屋である屋号ユナグシク(与那城)の角にあったガジマルの木を利用して打ち、クシンダカリは屋号ナカミチザチングヮーの角にあったシークヮーサーの木を利用して打った。綱の長さは雌雄の網とも50,...,60m程で、各網にはティーンナ(手綱)が付いていたようであるが、その本数や寸法などについては不明である。1970年代に、大正時代の桑江の綱引きについて調査した平敷令治によれば、大正の中頃までは、雌雄の綱は、いずれも、メージナ(前綱)・ナカジナ(中綱)・クシジナ(後綱)の3本からなっており、雌雄の綱の前綱は桑江本字で、中綱と後綱は小字に割り当てられ、前網と中綱には両端にカナチ(かんぬき用の輪)があり、後綱は頭の部分だけがカナチであったという。そして、その後の網の変化について平敷は、水田面積の減少から雌雄l本ずつの綱になったと述べている(平敷、1990: 21-22)。ロ.カニチ棒雌雄の綱1本を引くようになってからは、1本のカニチ棒を使用した。カニチ棒の長さは6尺(180cm)程で、直径は約25cm程であった。材質はリュウキュウマツで、保管場所は屋号ナカミチザチングヮー(座喜味家)であった。-161-

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